今や巨大なコミュニティー。サッカーをテレビ観戦する人々 (3ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 米スタンフォード大学文学部のハンス・ウルリッヒ・グンブレヒト教授(ドルトムントのファンだ)は最近のエッセイで、ファンは試合を観戦するだけの存在ではないと書いた。彼らは自分たちを「ゲームの一部」と感じているという。グンブレヒトによれば、自分もゲームに参加しているというファンの感覚は「揺るぎない」ものだ。

 さらにグンブレヒトは「フットボールファンであることの魅力が過去数十年で大きく膨らんだ」理由について書いている。彼が考える要因のひとつは、人生のなかで「選択」できる局面が増えたことだ。人は自分の行動や価値観を選べるようになり、さらには性別まで選べるようになった。不可能なことは何もない。僕たちは自由になったのかもしれない。

 しかしグンブレヒトは「個人として際限のない自由があり、放任されている状況は、孤独感や、社会的な結びつきの欠如を感じることにもつながる」と言う。フットボールのファンであれば、どこかのコミュニティーの一員になれる。ドイツの社会学者アルブレヒト・ゾンタークによれば、フットボールのファンであることが何らかのコミュニティーとの唯一のつながりだという人もいる。教会に通う人や労働組合の加入率、政党の党員数などが減っていることを考えると、うなずける見方だ。

 一方でテレビでは、国の一員であることを感じさせる番組がどんどん減っている。30年前ならテレビのチャンネルは数えるほどしかなく、多くの人が同じ番組を見ていたから、翌日に職場で話題にできた。しかし今は、チャンネルが数え切れないほどに増えたうえ、見たい番組をネットのストリーミングやYouTubeなどで好きなときに見られることもあって、テレビ番組の視聴者は確実に減っている。
(続く)

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