決勝ゴールが象徴したドイツサッカー界の勝利 (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • Photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

 同じドイツでも、バイエルンとはコンセプトを真逆にする攻撃的なサッカーを売りにするチームもあった。翌01〜02シーズンのチャンピオンズリーグ準優勝チーム、レバークーゼンである。4-4-2の布陣から、マイボールに転じるや、両サイドバックを上げ、2-4-4然としたスタイルで、攻め立てるサッカーだ。優勝はレアル・マドリードに譲ったが、サッカーの内容ではレバークーゼンの方が優れていた。

 00〜01のバイエルンと、01〜02のレバークーゼン。世の中の流れは後者にあった。守備的サッカーは攻撃的サッカーと対戦すると、格下相手にも苦戦した。番狂わせも頻繁に起こされた。守備的サッカーを代表する3-4-1-2を採用する国は、ユーロ2004本大会では一つも存在しなくなっていた。

 ドイツは2006年自国開催のW杯で3位になる。守備的サッカーからは脱したものの駒不足は否めず、変身とまではいかなかった。劇的な変化を感じたのはその2年後に開催されたユーロ2008だ。

 4-2-3-1の3の左にポドルスキー、右にシュバインシュタイガー。この両サイドからの攻撃に、従来のドイツサッカーとの違いが集約されていた。3バック時代のドイツは、サイドプレイヤーが両サイド各1人だった。先に述べたように、ドイツはそこにパワフルなウイングバック(ウイングハーフ)がいて、サイドにおける数的不利を、なんとか凌いでいた。だが、それこそが、守備的サッカーの証だった。

 ユーロ2008の成績は準優勝。決勝で同じ路線上にあるスペインに力負けしたが、時代のド真ん中にある正統派のサッカーで残した結果であるところに重みがあった。僕が初めてW杯を取材したのは82年スペイン大会になるが、ドイツは以来、いつでも悪役だった。良いサッカーをしたチームを、力ずくで倒すチームとして知られていた。それが善玉に変わった。ユーロ2008を機に。

 2010年W杯も準決勝でスペインに惜敗。だが、そのパスサッカーは、時に真ん中に固まる癖があるスペインより効率的だった。個人技が高すぎるあまり、攻撃的サッカーが本来持つ効率性を失うケースが目立ったスペインより、展開的には美しかった。むしろ、ヒディンクに率いられた98年型オランダ代表に似ていた。

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