決勝ゴールが象徴したドイツサッカー界の勝利 (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • Photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

 96年欧州選手権(イングランド大会)も、その方法論で制したが、ユーロ2000(オランダ・ベルギー共催大会)では、グループリーグ落ち。ユーロ2004(ポルトガル大会)も、同様にグループリーグ落ちした。一方で、2002年日韓共催W杯には準優勝したが、前後のユーロの方に真実味はあった。W杯準優勝は、くじ運に恵まれた末の結果というべきだろう。

 90年代半ば以降から2000年代初頭にかけて、欧州は混沌としていた。守備的サッカーと攻撃的サッカーが、睨み合う恰好で対立していた。攻撃的サッカー陣営は、その母国というべきオランダが、長年ひとりで引っ張っていたが、98年フランス大会で、ヒディンク率いるオランダ代表が、それにプレッシングのエッセンスを加えたサッカーでベスト4入りすると、欧州の各メディアは「最も良いサッカー」と称賛。4-2-3-1の布陣を採用するそのスタイルは、攻撃的サッカーの一つのモデルとして注目を浴びた。

 その影響を強く受けたのがスペイン。それとともに国内リーグのレベルも上昇。2001年には欧州のリーグランキングでナンバーワンの座に就いた。代表チームの力も、それに呼応するように上昇。ユーロ2008(オーストリア・スイス共催)、2010年W杯(南アフリカ大会)、ユーロ2012(ウクライナ・ポーランド共催)における優勝は、スペインが攻撃的サッカーを選択した結果と言っていい。

 攻撃的サッカー対守備的サッカー。その対立関係において、前者の代表をオランダ、スペインとするならば、後者の代表はイタリアでありドイツだった。

 両者の違いは布陣にあった。攻撃的サッカー陣営が採用する布陣は4-2-3-1を軸に4-3-3、中盤フラット型4-4-2(4-4-1-1)等が中心であったのに対し、守備的サッカー陣営が採用する布陣は3-4-1-2を定番とした。

 それは従来、ドイツが主に採用してきた3バック(3-3-2-2)を、さらに守備的にしたものといえた。

 00〜01シーズンのチャンピオンズリーグ準決勝、バイエルン対レアル・マドリードは、守備的サッカー対攻撃的サッカーを象徴する試合になった。勝利したのは守備的サッカーのバイエルンだったが、思い切り自軍に引いて構え、相手が出てくるところをカウンターで突く、あえて噛み合わせを悪くしようとするこのサッカーは、世間的に不評を買った。バイエルンはそのシーズン、欧州一に輝いたが、守備的サッカーは衰退の一途を辿ることになった。

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