決勝進出の立役者、マスチェラーノが学んできたこと (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by JMPA

 マスチェラーノはそう語っていたことがあるが、その足跡はたしかに"学習の日々"というにふさわしい。

 10代で母国アルゼンチンのリバープレートでプロデビューした後、20歳の時にブラジルのコリンチャンスへ移籍。そして翌年にはイングランドのウェストハム、さらに翌年にはリバプールへと場所を移している。

「あまりの環境の変化に、すぐに適応することはできなかったよ」と彼は笑う。

「ブラジル時代はケガもあったしね。だが、ブラジルでは、オープンな展開で、スピードのある選手に対応する術を身につけられた。ウェストハムでは苦しんだけど、プレミアリーグでは選手は基本的にフェアで素直なんだ。だからコンタクトプレイは激しいんだけど、相手を騙したり、トラップをかけようとしない、そういうプレイもあるんだな、といい経験ができたよ。

 リバプールのラファ・ベニテス監督からはタクティクスを学べたね。ディフェンスとしてやるべきことは繰り返し言われた。ただ彼は選手を縛り付けるわけではない。ジェラードと縦の関係を作っていい攻撃、守備をすることができた」

 2010年、バルセロナに入団したマスチェラーノは、独特のポゼッションフットボールを瞬(またた)く間に吸収。中盤のポジションだけでなく、センターバックとしても新境地を開いた。170cm台前半のセンターバックが、トップクラブで活躍している例は非常に少ない。ジョゼップ・グアルディオラは、攻守両面でプレイに関与するときのセンスの良さを買っていたという。

 もっとも、昨年夏にはマスチェラーノはバルサを出ることも考えていた。なぜなら、彼自身は中盤の底、アンカーでのプレイを希望しているのだが、その位置にはスペイン代表のセルジ・ブスケッツがいる。そして、彼がそこまで思い詰めたのは、ブラジルW杯でアルゼンチン代表として優勝したかったからだ。アルゼンチン代表での彼はアンカーを任されている

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