マンU監督就任。変身したファン・ハールは香川真司を使うのか? (2ページ目)

  • 中山淳●文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by Getty Images

 順風満帆な指導者キャリアをスタートさせたファン・ハールは、屈指の戦術家であり、また相当な自信家としても知られている。

 思い出すのは、1995年。トヨタカップに出場するためにアヤックスの監督として来日したファン・ハールが、いきなり公式会見の壇上で国立競技場のピッチ状態を酷評したことである。詰めかけた日本人メディアを前にして、ヨーロッパのそれとの違いを雄弁に語ったファン・ハールは、まさに時代の波に乗る若き名監督のオーラさえ漂っていた。

 周知の通り、その後もファン・ハールはバルセロナ(1997~2000)でいくつものタイトルを手にして名監督の仲間入りを果たしたわけだが、しかしその自信家ぶりが仇となり、地元メディアやファンから痛烈な批判を浴び、解任の憂き目に遭ったことも事実だった。

 地元選手を冷遇してオランダ人選手を重用したこと、そして当時エースだったリバウド(ブラジル)を自らのシステムに当てはめて左サイドで固定したことなどが主な原因だった。ファン・ハールが、システム主義者と言われるようになったのも、その頃からである。

 もちろん、采配は監督のものであるから、自分が信じる戦術や選手を使い続けることは至って普通のことだ。ただし、その度を過ぎた強い信念も、結果が残せなくなれば話は違ってくる。単なる頑固者でしかなくなってしまうからだ。

 2000年にバルセロナを追われた後、ファン・ハールは、満を持してオランダ代表監督に就任した。しかし、ダブリンでのアイルランド戦を落とすと、事実上の日韓W杯の予選敗退が決まり、ポルトガルとアイルランドの後塵を拝することとなった。それでも、そのアイルランドとの直接対決に敗れた後、彼は「前日に降った雨が乾いてしまい、ボールが滑りにくいピッチ状態になっていたのが敗因だ」と語っている。

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