多国籍チームを率いる方法を身につけたアンチェロッティ (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 この応援が効いたのか、リバプールはチェルシーを倒した。アテネで行なわれた決勝でミランは2-1でリバプールに勝ち、イスタンブールのリベンジを果たす。試合後、アンチェロッティと選手たちは朝まで馬鹿話をして、勝利を胸に刻みつけようとした。

 多国籍のミランで、アンチェロッティはさまざまな国から来た選手を相手にすることを学んだ。フランス人のマチュー・フラミニがアーセナルから移籍してきたとき、アンチェロッティはコミュニケーションの仕方について選手たちにこんなジョークを言った。「まずイタリア人にイタリア語で話しなさい」と、彼は言った。「それからブラジル人に偽(にせ)のイタリア語で話しなさい。あとベッカムには、うなり声とジェスチャーで」(アンチェロティのジョークの大半がそうであるように、この言葉は好意から出たものだ。アンチェロッティとベッカムは仲がいい)。

 多国籍のチームを率いる方法を身につけたアンチェロッティは、ミランの監督を一生続けてもいいとさえ思ったが、ベルルスコーニが財布のひもを固くしはじめた。当然ながらチームは低迷し、2009年にアンチェロッティは経済不振のイタリアから逃げ出す一流選手たちと一緒にミランを離れた。チェルシーのオーナー、ロマン・アブラモビッチがアンチェロッティのチーム運営と戦術眼を評価して、彼を雇った。

 アンチェロッティはこう語る。「初めてロマン・アブラモビッチに会ったとき、こんなことを言っていた。『チェルシーの試合を見ても、これがチェルシーだというものがない。アイデンティティーとか、プレイスタイルとか』」。アンチェロッティの仕事はチェルシーにアイデンティティーをもたらすことになった。ロンドンで彼はこう語った。「問題は言葉だけだ。話すのがむずかしいし、感情を込めるのがむずかしい。でもチームは、とても組織化されている」

 2010年、チェルシーはプレミアリーグを制したうえで、ポーツマスとのFAカップ決勝に臨んだ。これに勝てば、クラブ史上初の「ダブル(2冠)」を達成できる。

 FAカップ決勝の前に、アンチェロッティはいつもと違うことをやった。先発の11人を発表した後に、選手たち自身で今日の戦術を決めろと言ったのだ。アンチェロッティは言う。「みんな何かひとこと言っていた。例えば(GKのペトル・)チェフは『カウンターを食らわないように、後ろのスペースをケアしないといけない』と言った。このシーズン、チームは60試合を戦っていたから、私は戦術を60回説明していた。だから選手たちも、やるべきことはわかっていると思った」

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