首位奪取!レアル指揮官アンチェロッティのマネジメント術 (5ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 その後アンチェロッティはユベントスを率い、そしてACミランを率いた。ミランの会長でイタリア首相も務めたシルビオ・ベルルスコーニのクラブを管理するという仕事には、ベルルスコーニという人を「管理」することも含まれる。アンチェロッティはその仕事を巧みにこなした(彼は自伝の中でベルルスコーニのことを、おどけて「He(彼)」と大文字で書いている)。アンチェロッティは重要な点に気づいた。ベルルスコーニがミランを手に入れてから、監督の仕事は彼を喜ばせることだった。

 アンチェロッティは言う。「ミランで伝統的に重視されてきたのは、いいフットボールをやることだ。勝つことが最も大切にされているユベントスとは違う。ベルルスコーニが買って以来、ミランはそうなった」

 だからアンチェロッティは、非常に攻撃的なチームをつくった。「ピルロにセードルフ、ルイ・コスタにカカ、そしてシェフチェンコが一緒にプレイできた理由はそれしかなかった」。ここでもうひとつ気づくことがある。クラブ会長より重要なシステムなど存在しない。

 会長の指図はいっさい受けないという監督はたくさんいるが、アンチェロッティはベルルスコーニがロッカールームでジョークを言うのも好きにさせた。2003年のチャンピオンズリーグ決勝では、そのときイタリア首相だったベルルスコーニを試合前のミーティングにも同席させた。

「私はフォーメーションと戦術を書いた紙を配った」と、アンチェロッティは自伝に書いている。「『彼』もコピーを欲しがった。後になって(著名なジャーナリストの)ブルーノ・ベスパの本にそのコピーが載っているのを目にした。会長は自分が書いたものだと言ったようだった」

 こんな話もアンチェロッティはユーモアを交えて書いている。しかしベルルスコーニに好き放題させたことは、彼のキャリアでも大きな転換点になった。しかも、この試合でミランはユベントスをPK戦で破り、アンチェロッティは選手と監督の両方でチャンピオンズリーグを制した4人目となった(現在は6人)。
(続く)

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