首位奪取!レアル指揮官アンチェロッティのマネジメント術

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 イタリア北部のエミリア・ロマーニャ州の農家に生まれたアンチェロッティは、大人になってからの年月を厳しい環境の中で過ごした。賢いMFだった彼は、監督たちから多くを学んだ。とりわけアンチェロッティに影響を与えたのは、80年代に在籍していたASローマのスウェーデン人監督ニルス・リードホルムだ。

「北のほうで試合があるときも、飛行機を使わなかった。監督は飛行機が嫌いだったから」と、アンチェロッティは言う。「だから鉄道で行った。ローマからミラノまで、とか。列車は深夜0時ごろにローマを出るんだが、リードホルムは寝る時間が早いんだよ! 夜9時半には列車に入って、10時には眠っている。選手は深夜0時ごろに列車に入り、そのまま眠らない。試合前の準備としては最悪さ!」

 試合当日、チームはスタジアムに着くのが早すぎて、時間を持て余すことが多かった。リードホルムは選手をリラックスさせるため、クラブ所属の医師たちにジョークを言わせたという。アンチェロッティも自分が監督になってから、試合の前にジョークを言うようになった。チャンピオンズリーグ決勝の前でも同じだ。アンチェロッティはトップレベルのフットボールに何が大切かをわきまえている。たいていの選手は、今さらモチベーションを高める必要はない。必要なのは気持ちを静めることだ。

 アンチェロッティはリードホルムから、選手を大人として扱うことを学んだ。他の監督たちは彼に逆のことを教えた。「多くの監督は『こうしないとだめだ。私がそう言ったんだから』という態度だった。これが理解できなかった。私は......英語で何て言うんだ? そう、権威主義的になれないんだよ」

 1987年、アンチェロッティがすでに28歳でひざにケガを抱えていたとき、ミランの監督アリゴ・サッキが彼を獲得した。サッキはアンチェロッティがピッチの中の監督になれると思った。速くもないし、取り立てて技術が高いわけでもないが、ゲームを読む目を持っているMFだと考えていた。

「たいていのチームで最も知的な選手はMFだ」とアンチェロッティは言い、これまで彼が率いたチームでいちばん頭のよかった選手を並べた。「たとえば(アンドレア・)ピルロ、シャビ・アロンソ、ティアゴ・モッタ、ディディエ・デシャン。みんなMFだ」

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