早熟の天才セードルフ。こんな変わり者に監督をやらせるのはミランしかない (3ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 マクマナマンが僕に語ったところでは、セードルフの唯一の問題は黙っていられないことだ。レアルのコーチが練習で何かを説明すると、セードルフは前に出て、こう言う。「そんなふうにやるより、こうしよう。で、それから僕にボールを回して」。スペイン人は彼を「エル・プレジデンテ(大統領)」と呼んだ。

 フットボールの世界には、監督を頂点にした厳しい上下関係が存在する。ちょうど19世紀のプロイセンの軍隊のようなものだ。ところがセードルフは、フットボールを自己啓発のためのディスカッショングループのようなものと考えていた。

 レアル・マドリードでの試合のハーフタイムに、セードルフは監督のファビオ・カペッロに向かって戦術を解説したことがある。カペッロはジャケットを脱ぐと、いきなりセードルフに投げつけて叫んだ。「そんなにわかっているなら、おまえが監督をやれ!」。セードルフの代理人でさえ、こう助言した。「車を乗りこなすだけでもむずかしいんだから、車になろうとしてはだめだ」

 オランダ代表には18歳のときから入っていたが、彼はほとんど国中を敵に回していた。問題のひとつが「ジダン・コンプレックス」だった。セードルフは長いこと、古典的な司令塔タイプの選手になりたがっていた。

 オランダ代表の監督は、たいてい彼を中盤の右で使った。しかし人格的に成長したいセードルフは、いつも「10番」のポジションに入ってきた。相手選手をいとも簡単に振り切り、そのくせ疲れた素振りも見せないから、真面目にプレイしていないように見えることさえあった。退屈な抽象論をとうとうと話したがる癖もオランダ人に嫌われた。他の選手が獲得したPKを蹴って失敗したり、黒人選手のスポークスマンのように振る舞ったことも不評だった。

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