各国でサッカーから優れた文学が生まれている (3ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 まったくナンセンスな議論だ。この言い方にならえば、書くという作業はプラスチックのキーをたたくことでしかないし、ピアノを演奏するのは象牙のキーをたたく作業でしかない。あるテーマが文学にふさわしいかどうかを決めるのは、そのテーマから優れた文学が生まれたかどうかだろう。そしてフットボールからは、すばらしい文学が生まれたのだ。

 やがて、このジャンルは大陸ヨーロッパに渡った。1994年には、ホーンビィの編集したフットボール・ライティングのアンソロジー『マイ・フェイバリット・イヤー』を読んだふたりのオランダ人が「文学的」なフットボール雑誌『ハート・グラス』を創刊した。97年はフットボール文学にバブルが訪れ、出版社はどんなフットボール本にも金を出したので、僕は『ハート・グラス』を真似た『パーフェクト・ピッチ』というシリーズをイギリスで始めた(一部の邦訳は『ゴールの見えない物語』、ザ・マサダ)。このシリーズは4冊で終わってしまったが、後に創刊された季刊誌『ザ・ブリザード』がイギリスでもこのアイデアが通用することを証明している。

 他の国でも「文学的」なフットボール雑誌は伸びている。スウェーデンの『オフサイド』、ノルウェーの『ヨーセマル』、スペインの『パネンカ』、アメリカの『ハウラー』。そして『ハート・グラス』は今、オランダの文学雑誌として史上最大の部数を誇る。

 このジャンルは最近、へそ曲がりなフランスにまで波及した。先日はあるフランス人ライターが、僕のオフィスから何冊か本を借りていった。彼は今、ブラジルのフットボールについての本を書くためにリオデジャネイロにいる。

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