冬休みに読みたいすばらしき「スポーツ本」 (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 アメリカ文学の中で、ときにアスリートは「アメリカン・ドリーム」の盛衰まで象徴した。無名の若者がアスリートとして名声を手にするが、いつ壁にぶつからないともかぎらない......。第2次世界大戦を経て、アメリカン・ドリームの理想が以前ほどアメリカ人の心に訴えなくなると、文学には高校の元スター選手が後に挫折を味わうという設定が増えていった。

 たとえばテネシー・ウィリアムズの『やけたトタン屋根の上の猫』(邦訳・新潮文庫)に出てくるブリック・ポリット、アップダイクの『走れウサギ』(邦訳・白水Uブックス)のラビット・アングストローム、アーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』(邦訳・ハヤカワ演劇文庫)のビフ・ロマン、かなり後には、フィリップ・ロスの小説『アメリカン・パストラル』に登場する "スウェーデ"・レボブ。映画の『欲望という名の電車』と『波止場』の両方でマーロン・ブランドが演じた元ボクサーも同じタイプだ。かつてはアメリカのヒーロー、今は砕け散ったアメリカン・ドリームの象徴である。

 だが、ヨーロッパでは「ハイ・カルチャー」と「ロー・カルチャー」が明確に分かれていた。オペラはハイ(高級)、スポーツはロー(大衆的)とされていた。そのため、作家がスポーツについて真剣に考えることはなかった。

 それでもイギリス人だけはスポーツを書いた。僕は今パリに住んでいるが、小さな仕事場の書棚に並んでいるスポーツ関係の蔵書はヨーロッパでも指折りのコレクションではないかと思う。1930年代くらいからまず祖父が、それから父と僕が集めたおびただしい数の本が並んでいる。

 しかし90年代まではスポーツ本といっても、アスリートのあまりに素直な自伝や長い試合を迫力満点に描こうとした作品、あるいはちょっとセンチメンタルな文章(クリケットを扱ったものに多い)がほとんどだった。スポーツをテーマにしながら社会的なメッセージを含んだ作品は、本当に数えるほどしかなかった。たとえばアラン・シリトーの短編『長距離走者の孤独』(1959年、邦訳・新潮文庫)や、炭鉱町のラグビー選手を主人公にしたデイビッド・ストーリーの小説『ディス・スポーティング・ライフ』(1960年、映画『孤独の報酬』の原作)などだ。

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