けっこうヤバイ?本田圭佑が移籍するミランの実情 (3ページ目)

  • クリスティアーノ・ルイウ●取材・文text by Cristiano Ruiu 宮崎隆司●翻訳 translation by Miyazaki Takashi

 つまり、満を持して行なわれるこの体制の一新は「クーデター」であり、ガッリアーニ失脚を企図したバルバラが、実父の威を借りてその戦略を成就させると言うべきだろう。今シーズン終盤の来年4月に、ミラン首脳陣の根幹が入れ替わると見られている。4月の株主総会で正式にバルバラ体制が承認され、同時に、ガッリアーニが正式にその職を解かれることになるはずだ。

 とはいえ、経験がモノを言うのがカルチョの世界である。とりわけ移籍市場における駆け引き、権謀術数や談合の術に長(た)けていないGMが成功することは難しい。ミランに出入りする選手はそのレベルも、取引の額も桁が違う。一歩どころか半歩でも間違えば、この名門クラブを潰しかねない危険性を孕(はら)んでいる。

 そして、以下は蛇足にして下世話な話になるのだが、ことここに至った経緯とその伏線を端的に記しておく。つまり、ガッリアーニ体制を転覆する今回のミラン内部の権力闘争は、一個人の私怨に端を発するものでしかないということだ。

 ここイタリアで、バルバラとアレシャンドレ・パト(元ミラン/現コリンチャンス)の「恋仲」は広く知られているが、12年1月のメルカート(移籍市場)で、アッレグリ監督とガッリアーニがパトの放出とカルロス・テベスの獲得を行なおうとしたとき、"恋人"の放出にバルバラが激しく抵抗。交渉を仕上げるためにロンドン入りしていたガッリアーニへ、娘の懇願を受けた実父ベルルスコーニが電話を入れ、交渉を破談にしてしまった。

 ガッリアーニはその顔に泥を塗られることになったが、その後、12年末にバルバラとパトの関係もまた破談。この愛の物語が終焉すると、ミランのクラブ事情は大きく変わることになった。パトは故障に次ぐ故障で試合に出ることができない。結果、もはやミランにとってもバルバラにとっても"無意味"となったパトは12年末にコリンチャンスへ放出となった。これが、なんとも次元の低い一連の経緯にしてガッリアーニの権威失墜をもたらした要因である。

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