ファーガソンが明かしたマンチェスター・ユナイテッドの実像 (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 それでも、ファーガソン流マネジメント術の一端はうかがい知ることができる。人に忠誠を誓い、心の底から信頼すれば必ず返ってくるものがあるという自らの信念を、ファーガソンは披露している(本の冒頭に多くの人への謝辞が長々と続き、退職記念パーティーの間延びしたあいさつのように読めるのはそのせいだろう)。

 閉じたドアの向こうで人を怒鳴ることはできる。しかし公の場では、その人間を外部のひどい評価から守ってやらなくてはならない。それが「監督の仕事をするなかで忘れずにいた原則」だったと、ファーガソンは書いている。

 そうはいっても、ファーガソンは相手を支配する必要性も忘れずにいたようだ。ベッカムについてはこう書いている。「ロッカールームをひとりの選手に支配させてはいけない。多くの選手がそうしようとした。それは選手にとって終わりを意味した」。ファーガソンのみるところ、ベッカムは優れたフットボール選手よりファッション界の偶像を目指すようになった。そのため、ユナイテッドを退団した後は「『これぞトップ選手』と言えるようなレベルには一度も達しなかった」。

 キーンもファーガソンに盾突いて追放された。政治的には労働党左派を支持するファーガソンは首相だったトニー・ブレアに対し、閣内にいる反抗的なスターは排除すべきだと助言したことがある。そのときブレアの脳裏に、やがて自分の後がまに座るゴードン・ブラウン財務相の顔がちらついていたことを、ファーガソンは後に知った。

 ほかに紹介されているファーガソン流マネジメント術は、期待するほどのものではない。メディアはファーガソンの発する一言一句を解析して、対戦相手の監督に「心理戦」を仕掛けていると言っていた。そんなことはほとんどなかったと、ファーガソンは書いている。

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