元セリエA得点王、
ジュゼッペ・シニョーリが狙うのはJリーグ監督の座

  • 宮崎隆司●取材・文 text by Miyazaki Takashi photo by Miyazaki Takashi

 あれは2006年の夏、引退したばかりのシニョーリは監督をめざすべくコーチライセンス取得のため、指導者講習会に出席するマジメな受講生だった。そして、その退屈な講義の合間に彼はピッチに出ると、同じく受講生である元選手たちのリクエストに気さくに応じては実技指導をしていた。

 もっとも、それは遊びのような雰囲気のものだったのだが、ちょうど、ライセンス講座の取材で現地を訪れていた筆者は、シニョーリに呼ばれて、その練習に参加させてもらった。

 そこで目の当たりにしたのが、シニョーリ先生の「どうすればキレイな軌道のボールを蹴れるのか?」講座。

 彼はセンターラインにボールを置くと、自らの代名詞でもある「助走なしPK」と同じスタイルで(さすがにここでは2歩の助走をつけながら)左足を一閃。するとボールは、まさにシニョーリ先生が言ったとおり、わずかな軌道のズレもなく、むしろグっと伸びながら約52m先にまで達し、その強烈なシュートは狙いどおり、見事ゴール右上のポストを直撃したのだ。

 ポストを叩いた瞬間に響いた金属音が、いかに鋭い弾道だったかを物語っていた。見守っていた受講生30数名が思わず驚嘆の声をあげたのは言うまでもない。

 軸足の置き方、足の振り上げ方と膝の曲げ具合、インパクト直前の重心と腕の使い方、そしてボールを捉える瞬間の足首の角度などなど。一連の動作の美しさはまさに圧巻だった。


 少年期にインテルのユースから干され、その悔しさをバネにアマチュアから上の全カテゴリーを順に這い上がってきた男は、だからこそ誰にも負けぬ強靭なメンタルを備えていた。

 シニョーリは、89-90シーズンに南部の弱小クラブ、フォッジアに加入(当時セリエB。89-90はセリエB8位。90-91シーズンにセリエB優勝でA昇格)。そこでかの戦術家、ズデネク・ゼーマン監督の門下に入ると、彼のキャリアは一変した。

 その前年、88-89シーズンにはセリエBのピアチェンツァで32試合5ゴール(内PK3)しか決められなかった、本人曰く『無名のショボいMF』が、瞬く間に希代の点取り屋へと変貌を遂げていった。(89-90、34試合に出場し14ゴールを記録)

 シニョーリは「奇跡のフォッジア」と呼ばれたチームを牽引し、その勢いを駆って92年に恩師ゼーマンと共にラツィオへ移籍すると、92-93、93-94の2シーズンで出場通算56試合49ゴールを記録。2年連続の得点王の座を獲得した。とくに93-94シーズンは出場24試合で23ゴールを決めており、あの名DFフランコ・バレージをして『あいつを止めるのは至難の業だ』と言わしめた。

 シニョーリは95-96シーズンにも得点王になったが、それ以降、度重なる故障との闘いに明け暮れた。その後、ボローニャでの復活こそあるものの、06年に力尽き、セリエA通算200ゴール間近の188得点でユニフォームを脱ぐことになった。

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