イタリア紙記者が特別寄稿。「この敗戦で日本はもっと強くなる」 (3ページ目)

  • エンリコ・クロー●文 text by Enrico Curro 内海浩子●訳 translation by Uchiumi Hiroko

 代表監督に就任して3年、プランデッリはコレクティブなサッカーを目指してきたが、日本戦ではその長所よりも欠点が出た。イタリアのコレクティブサッカーは、正確な台本により成り立っているため、一人がセリフを外すと間違いが際立ってしまうのだ。全体が機能すればこのイタリアは楽しいサッカーができるが、さもなければ欲求不満のたまる代物となる。

 メキシコ戦はピルロとバロテッリという“個”がけん引した。その通りだ。だが、彼らがその能力を発揮できたのは、デ・ロッシやジャッケリーニの献身的かつシンクロナイズされた動きがあったからこそだった。戦術の洞察深いザッケローニは、プレッシングとスピードを手段としてこのメカニズムをブロックすることで、エースたちの能力を抑えようとした。それは部分的には成功した。しかし日本はジャッケリーニ、ジョビンコという伏兵をとりこぼしてしまった。

 試合終盤は、1日休養の多かった利と香川の創造性により、イタリアを日本が凌駕した。だが運はなかった。日本のシュートがたった数センチのズレでバーにはじかれる中、決勝点となったジョビンコのゴールは、“くじびきに当たった”みたいなものだ。つまり、もはやマークがずれまくっていた展開の中で、両チームの誰が決めていても不思議ではなかった。

 こうして勝つべきだったチームが負け、イタリアが準決勝に進むことになった。日本が悔しいのは当然だ。しかしこの敗戦で日本はさらに強くなった。それは言葉の上のパラドックスではない。なぜならチームとして改善すべき欠点が明確になったこともさることながら、選手個々の力と限界がより明確にわかったはずだからだ。日本はワールドカップへ向け、その限界をさらに引き上げるための鍛錬に時間を使っていくことだろう。

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