スキャンダルとベルルスコーニがイタリアサッカーにもたらしたもの (3ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 2010年ごろのユベントスには、ベルルスコーニが食い散らかした後のフットボール界を率いる力さえなくなっていた。「2006年の出来事を乗り越えなくてはならなかった」と、アニエリは言う。「そこで、ファミリーの人間がトップに立ってやっていこうという話になった」。アニエリはスポーツビジネスに関心があったから、明らかに適任だった。

 アニエリ家はユベントスの株の60%以上を所有していた。株主たちは1億2000万ユーロ(当時のレートで約137億円)を増資した(リビアのカダフィ家もユベントスの株主だったが、革命への対応に忙しく、増資には参加しなかった)。

 こうして2011年、ユベントスはようやく新しいスタジアムをオープンさせる。計画が始まってから17年が過ぎていた。イタリアではほとんどのクラブが、自治体の所有する老朽化したスタジアムで試合をしている。地元自治体に取り入ることはできても、自前のホームスタジアムを建設する資金はない。本当のホームを持っているのはユベントスだけだ。

 4月に僕は、ユベントスがベルルスコーニのミランを相手に戦った試合を新スタジアムで見た。21世紀型のスタジアムだった。観客の子どもたちを預かる託児施設が2ヵ所ある。4万1000人を収容する観客席はピッチにとても近い。キックオフの2時間前に、僕はコーナーフラッグのあたりまで入れさせてもらい、これなら選手からも観客の顔がすぐ近くに見えると感じた。観客と選手を隔てているのはプレクシグラス(透明なアクリル樹脂)だけだ。

 ロッカールームに入るとヘアドライヤーがコンセントにつながれ、いつでも使えるようになっていた(イタリアのフットボール選手の日常にヘアドライヤーは欠かせない)。熱いバスと冷たいバスがあって、選手が体のトリートメントを受けるテーブルが4台あった。フルーツバスケットが置かれたディナーテーブルまであった。試合が終わったら、選手はここですぐに食事ができる。

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