イタリアのサッカーはなぜ凋落したのか

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

「これはあなたには買えないものです。あなたがどれほどの資産家でも」と、プラティニは言った。「このトロフィーは本当に金で出来ているのかい?」とジャンニが聞くと、プラティニは答えた。「もしそうだったら、あげるものですか」

 ユベントスには「ラ・ベッキア・シニョーラ(老貴婦人)」というニックネームがあるが、会長のアンドレア・アニエリは別の名前に注目している。「ユベントスは『イタリアのガールフレンド』と呼ばれている。誰もが一緒にいたい女性のような存在なのだろう」

 イタリアの大半のクラブの名には都市名が入っており、それが地元への帰属意識につながっている。しかし、ユベントスはイタリア中で人気がある。ジャンニ・アニエリはかつてこう語った。「都市名を入れなかったことで、大変な人気を獲得できた。全国的なクラブになった」。こんなふうに言える組織や団体は、地域間の溝が深いイタリアにはほとんどない。ユベントスの推計によれば、イタリア国内には約1100万人のサポーターがいる。本拠地トリノは北部にあるが、古くからフィアットの工場に出稼ぎ者を送り出してきた貧しい南部の農村部にもファンは多い。

 アンドレア・アニエリは一族の「安定したリーダーシップ」を、ユベントスがイタリア最強のクラブになった要因のひとつと考えている。確かにフィアットの資金力は、地方都市のクラブがヨーロッパの一流チームと肩を並べるのに大きな役割を果たしただろう。

 アニエリはユベントスのことをどう考えるよう育てられたのか。「勝利」とだけ彼は答え、棚から子どもの描いた絵を取り出した。「ユベントス、あなたは女王」という文字の下に、PKがゴールに吸い込まれる様子が描かれている。9歳のアンドレアがこの絵を描いたのは1985年。プラティニのPKでリバプールを破り、ヨーロッピアンカップ(現在のチャンピオンズリーグ)を獲得したヘイゼル・スタジアムでの試合の後だ。

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