イタリアのサッカーはなぜ凋落したのか

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 1923年、ジョバンニは息子のエドアルド(アンドレアの祖父)を、トリノのフットボールクラブ、ユベントスの会長にした。「同じファミリーがオーナーを90年続けている例は、世界のどのスポーツにもない」と、アンドレアは言う。「ユベントスとフィアットは、私たちが所有しているなかで最も古い」

 アニエリ家の投資会社が買った他の資産には手放したものもあった。「ユベントスとフィアットはファミリーの歴史を象徴する存在だ」と、アンドレアは言う。彼は世界第7の自動車メーカー、フィアットの役員も務めている。会長は、いとこのジョン・エルカンだ。

 アニエリに会っても、そんな名家の出身だとはすぐには気づかない。有能な国際ビジネスマンのような彼の話し方(実際、彼は有能な国際ビジネスマンだが)は、頭が空っぽの「お坊ちゃま」ではないことを証明したがっているかのようだ。しかし質素なオフィス、控えめだがきちんとしたチャコールグレーのスーツ、そして完璧に近い英語(オックスフォードの寄宿制学校で磨きをかけた)は、まさにアニエリらしい。

「控えめでおしゃれで、優雅で英国風──それがアニエリ家の伝統だ」と、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのイタリア現代史の教授で、『カルチョ──イタリア・フットボールの歴史』の著書があるジョン・フットは言う。フットが書いているように、アニエリ家は何代にもわたってユベントスに目配りし、選手を買い、監督をクビにし、小うるさいイタリアのメディアを相手にフットボールを語ってきた。

 アンドレアのおじで、白髪でハンサムだったジャンニ・アニエリはフィアットを経営していたが、多くのイタリア人にはユベントスの顔としての印象のほうが強い。80年代にユベントスのプレイメーカーだったミシェル・プラティニは、「バロンドール(黄金のボール)」の名で知られるヨーロッパ年間最優秀選手のトロフィーを3度獲得し、そのうちひとつをジャンニに贈った。

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