【イングランド】アーセナルはなぜ金を使わないのか

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 ベンゲルの命を受けたスカウトたちはいたるところにいたので、彼は優れた選手を安く買えた。アンリ、ビエラ、ピレスの3人を獲得するためにベンゲルが払った金額は、取り扱いが面倒な10代のフランス人選手ニコラ・アネルカをレアル・マドリードに売って得た2300万ポンド(当時のレートで約45億円)を振り向けても、まだお釣りが来た。

 そのころ選手の移籍金や年俸を交渉していたのは、アーセナルの副会長でベンゲルを監督に招へいした中心人物でもあったデイビッド・デインだ。倹約家のベンゲルが「相場」と考える額よりも上積みしたほうがいいとベインが考えたら、彼はそれだけの金を出した。もともと砂糖のトレーダーだったデインは1983年にその目利きぶりを示し、アーセナルの株式の17%をわずか29万2000ポンド(当時のレートで約1億円)で買った。

 2003~04シーズン、ベンゲルの率いる「無敵」のアーセナル(イングランドの歴代のチームで最高だったかもしれない)は、1試合も敗れずにプレミアリーグを制した。ライバルのマンチェスター・ユナイテッドのほうが資金力でははるかに上だったのに、アーセナルにとっては直近の7シーズンで3度目の優勝だった。その後、「無敵」だったはずのアーセナルは2004年10月にマンチェスター・ユナイテッドに敗れ、その力関係は今にいたるまでほとんど変わっていない。

 そのころ、フットボール界には大きな変化が訪れていた。ロマン・アブラモビッチという名のロシア人大富豪がチェルシーを買収し、強化に巨額の資金を注ぎ込んだ。だが、変わったのは資金面だけではなかった。イングランドの監督は誰もがベンゲルをまねるようになった。先駆者は後から来た者たちに追い着かれていた。

 アブラモビッチのチェルシーはタイトルを獲得しはじめた。金持ちがどこからか現れて、まるでリゾート地のヴィラを買うようにタイトルを買ってくれるという感覚が、ベンゲルは大嫌いだった。チェルシーは「経済的なドーピング」を使っていると、ベンゲルは語った。「あのチームの資源は『人工的』なものだからだ」

 そのころベンゲルは、ふたつの大きな決断の下に行動していた。ひとつは、収入を増やすために収容人員の多い新スタジアムを建設すること。もうひとつは、アーセナルは財政的に慎重な姿勢を保つということだ。危ない賭けに金を使うことはしない。これらは2000年代中盤以降のアーセナルを特徴づける方針だ。

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