【フランス】2002年W杯、フランスがグループリーグで敗退した理由 (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Shigeki Sugiyama
  • ロイター/アフロ●写真

 とはいえ、ジダン不在という言い訳があったことも事実。ジダンが戻れば問題は解決するだろうという楽観論は、不安と半々に存在した。ところが、ジダンは韓国と行なった直前の親善試合で負傷を追ってしまう。「セネガル戦(開幕戦)の出場危うし」とのニュースが流れたのはその数日後だった。ベルギー戦の戦いぶりが、頭をよぎるのは当然だった。

 98年以降のフランスと、それまでのフランスの決定的な違いは、アフリカ出身選手の占める割合が、大幅に増した点にある。中盤の繊細なパスワークが売りだったかつてのチームに、少しばかり欠けていたパワー、スピードは、彼らの台頭によって補われていた。

 そのスピードとパワーを束ねていたのがジダンだった。トレゼゲ、アンリ、ビルトール、シセ等々、攻撃面における彼らの爆発力は、懐(ふところ)の深いジダンのプレイによって秩序正しいものになっていた。つまり4-2-3-1で1トップ下を務めるジダンは、3の両サイドと1トップの3人と、1対3の関係にあった。4人は、ジダン対その他、静と動の関係で結ばれていた。

 ジダンは黒人プレイヤーを束ねる扇の要の役割を果たしていた。絶対的なエースであると同時にコントロールタワーでもあった。精神的のみならず、機能的にも絶対に欠かせない選手になっていた。

 それはブラジル代表におけるロマーリオの役割より重かった。代わりに入ることになったジョルカエフ、ミクーも好選手ではあったが、ジダンとの違いは明白だった。彼らには黒人プレイヤーを束ねるプラスアルファの力が不足していた。その結果、スピードとパワーを備えた黒人プレイヤーは混乱。彼らは勝手バラバラに暴れてしまった。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る