2013.01.05

【ブラジル】最強のブラジル代表はなぜW杯で優勝できなかったのか

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Getty Images

97年、トルノア・ドゥ・フランスからコパアメリカにかけてのブラジル代表 97年のブラジルは本当に強かった。長らく故障で戦列を離れていたロマーリオ、ドゥンガが復帰。6月にフランスで行なわれたトルノア・ドゥ・フランス(フランスW杯のプレ大会)の初戦、対フランス戦にベストメンバーを送り込んだ。

 名勝負になったのはコンディションが上がってきた第2戦のイタリア戦。途中までイタリアが3-1でリードするも、ブラジルも反撃を開始。3-3に追いつき、逆転ゴールが生まれそうなムードの中で、タイムアップの笛が鳴った。終わり方という点で、ブラジルはイタリアに勝った。魅力でも、期待値でも上回った。

 ブラジルはこの大会に入る直前(5月30日)、オスロでノルウェーと対戦していた。そこからトルノア・ドゥ・フランスを経て、ボリビアで行なわれたコパアメリカ決勝(6月29日)まで、およそ1ヵ月の間に計10試合を消化。大西洋横断を含む外地での10連戦を予選に代わる真剣勝負の場に充てようとしていた。

 その結果、コパアメリカ優勝という結果を得ることに成功。そしてその瞬間、ブラジルは98年フランスW杯の本命に祭り上げられることになった。試合間隔は平均中2日。しかしながら監督のザガロは、すべて「ベストメンバー」で臨もうとした。メンバーチェンジも積極的に行なわなかった。

 なぜメンバーを代えないのか? との感想を試合中ノートに何度記したことか。交代はあっても、大勝している時に控えを虫干しするように出場させる交代か、終盤、時間を稼ぐための交代か、ケガによる交代がその大半を占めた。交代時間は総じて遅め。流れを変えるための交代はほとんどなかった。接戦になると、動かなくなる癖も目についた。

 ザガロの采配には、つまり深みがなかった。ポーンとスタートしてそれでおしまい。そのポーンに、他の追随を許さない圧倒的な魅力があったことは確かだが、観戦の試合数を重ねていくと、翌年の本番が無性に心配になるのだった。

 戦術的交替はほぼ一切なし。ベンチに下げる選手と、投入する選手のポジションは完全に一致していた。変化は最小限にとどまっていた。

 2トップを占めたのはR-Rコンビ。ロナウドとロマーリオ。世界的にも1、2を争うフォワードである。代えにくいのはわかる。だがフォワードは、代わるべきポジションなのだ。交代のリスクが少ない、代えやすいポジション。そこに手をつけなければ、どこに手をつけるのだと言いたくなるポジションだ。しかし、そこにはビッグネームが構えている。そこが動かせないものだから、すべてが動かないという感じだった。