【フランス】ドメネクが代表選手たちの心をつかめなかった理由 (3ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 前回のワールドカップについて書いた件で、やっとドメネクは過剰な自信を捨て去り、ミスを認めている。たとえばアンリを南アフリカに連れていかないと1度は決めたのに、結局は選んでしまったことだ。「感情的な理由」のためだと、ドメネクは書いている。だが本当のところは、アンリを代表に選ばなかった場合に予想された世論の反発に耐える自信がなかったのだろう。

 ドメネクは南アフリカに行ってからもミスをした。ストに入った選手たちの宣言をテレビカメラに向かって読み上げてしまったのだ。これによってドメネクは、自分も許していない選手たちの行動に肩入れする形になってしまった(この宣言を最初に見たときにドメネクが思ったのは、いったい誰が選手たちのためにこの長い文章を書いたのかということだった)。

 南アフリカから帰ったドメネクは、フランスで猛烈に批判された。3歳の息子は彼にこう尋ねたという。「ねえ、パパは刑務所に入るの?」

 それから2年たったが、事態はいっこうに変わらない。「次のチームを率いるときには運営の仕方を変えるだろう」と、ドメネクは自伝に書いている。しかし彼に「次のチーム」があったとしても、それは砂漠か南太平洋の島にあるチームかもしれない。

 ドメネクは今、フランスでフットボール指導者の労働組合の仕事をしながら、小さなケーブルテレビ局の解説者をやっている。彼は『孤独』の献辞にこう書いた。「この6年間、私と同じ名前を持つ重荷に耐えてくれた家族へ」。最後にドメネクは本を書いた理由について、「自分にはバスの記憶しか残らないのではないか」という不安があり、「別の足跡を残したかった」と説明している。

 だが彼に残るのは、バスの記憶だけだろう。


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