【フランス】イブラヒモビッチのプレイに大きな影響を与えた、その生い立ち (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 表に出ると、ズラタンはフットボールとテコンドーをやり、自転車を盗んだ(自伝の中で彼は、自転車の錠前のはずし方を得意げに書いている)。彼はガキ大将でもあった。

「この学校では33年働きましたが......」と、ズラタンの通った学校で校長を務めた女性は言う。「そのなかでもズラタンは、手に負えなかった子のワースト5に入ります。やんちゃ度ではまちがいなく一番です。深刻な問題を抱えることになる子供の典型例でした」

 ズラタンはスウェーデンのことをほとんど知らずに育った。ブロンドの髪をしたスウェーデン人の女の子たちがローゼンガルドの近くにも住んでいた。話してみたいと思っても、ズラタンはどうしても近づけなかった。「移民街に住んでいる僕らは、本当の意味で国の一員ではなかった」と、ズラタンは書いている。「やはり引け目を感じていた」

 彼がマルメの中心街に初めて出かけたのは、17歳のときだった。スウェーデンのテレビを見たこともなかった(ズラタンも父もブルース・リーやモハメド・アリのほうが大好きだった)。1994年のワールドカップ・アメリカ大会でスウェーデンは3位になったが、ズラタンにとってはどうでもよかった。ローゼンガルドの子どもたちの心をつかんだのは、ロマーリオやベベトといったブラジルの選手で、ズラタンたちは近所の広場で彼らの技をまねしていた。

 ズラタンは背が高く、しかも足元の技が抜群だった。けれども試合でズラタンが技を見せると、応援に来ているスウェーデン人の父親たちから息子たちにもパスを出してやってくれと言われた。

 フットボールをやっていると、ズラタンはますます自分のことをスウェーデン人と思えなくなっていった。生き方を探すうちに、彼はあるモットーを見つけた。「有言実行」である。ズラタンは「俺が一番だ」と言うだけでなく、本当に一番になった。そうしないと、自分の言葉がまぬけに聞こえてしまうし、ズラタンはまぬけと思われるのが嫌だった。

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