【EURO】88年、優勝国オランダよりすごい試合をしたチームがあった (4ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Getty Images

 ちなみにこのソ連は、今でいうところのウクライナ、ディナモ・キエフのメンバーが8割を占めていた。大会期間中、ロバノフスキー監督の元には「ロシア人選手をもっと使え」と、ロシア当局から再三の要求があったという。

 ソ連と西ドイツ。今はなき国名が欧州選手権で用いられたのは、この大会が最後。よって、この時のソ連にはとりわけノスタルジーを覚える。
 
 ソ連は冒頭で述べた通り、この雨中の一戦から中2日をおいて決勝戦を戦ったが、決勝は昼間の試合だったので、実質中2日弱ということになる。最大限の不利を被っていた。

 そして決勝では、オランダのファン・バステンの右足が炸裂。話題は勝者に集中することになった。ジダン(レアル・マドリード)のスーパーゴールが決勝ゴールとなった01~02シーズンのチャンピオンズリーグ決勝同様、敗者(レバークーゼン)のサッカーがクローズアップされることはなかった。88年欧州選手権といえばオランダ。ファンの記憶はそうイメージ化されている。それだけに僕はついひと言いいたくなるのだ。「実はソ連対イタリアの方が……」と。

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