【EURO】88年、優勝国オランダよりすごい試合をしたチームがあった

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Getty Images

準決勝でイタリア守備陣を切り裂くソ連のアレイニコフ。後にガンバ大阪でもプレイした準決勝でイタリア守備陣を切り裂くソ連のアレイニコフ。後にガンバ大阪でもプレイした思い出の名勝負(1)

 欧州選手権に「EURO」の略称が用いられるようになったのは、96年のイングランド大会から。それ以前と以後の関係は、チャンピオンズカップとチャンピオンズリーグの関係に似ている。欧州選手権時代の話は、少なくとも日本人のファンの間では「知る人ぞ知る」レベルにある。情報はけっして多くない。

 しかし、そうはいっても88年西ドイツ大会決勝で、マルコ・ファン・バステンが決めたボレーシュートを映像として記憶している人は多いはずだ。対ソ連戦。アーノルド・ミューレンが左サイドから上げたハイクロスを、角度のないところからボレーで打ち抜いたスーパーゴールである。

 優勝したオランダにはファン・バステンの他にフリット、ライカールト、クーマンなど、スター選手がひしめいていた。監督は後に「20世紀の最優秀監督」として国際サッカー連盟から表彰されることになったリナス・ミホルス(故人)。88年西ドイツ大会といえば、オランダサッカーの魅力が全開になった大会と結論づけることができる。サッカー検定の初級編ならこれを覚えておけば十分という話になるが、この88年大会は実は見どころ満載で、他にも語るべきことが数多くある。

  オランダとソ連。決勝戦を争った両チームは、グループリーグの初戦でも対戦していた。結果はソ連の1-0。オランダが当初から大会の主役だったわけではない。決勝戦前の下馬評もイーブンだった。ソ連が敗れた理由は準決勝からの試合間隔にあった。オランダが中3日だったのに対し、ソ連は中2日。この1日の差によって明暗は分かれた。少なくとも僕はそう見ている。

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