【イングランド】カペッロの後任にはどんな幸福と災厄が降りかかるのか (2ページ目)

  • マーク・バーク●文 text by Mark Burke 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki
  • photo by Getty Images

 私は先日、カペッロの前にイングランド代表監督をつとめたスティーブ・マクラーレンに会った。代表監督は「すばらしい仕事だった」と、彼は言った。「もう1度やってくれと言われたら、やりますか」と、私は尋ねた。

「ばかみたいだけど、たぶんやるだろうね。......待て待て、何を言ってるんだ。まさか、やるわけないじゃないか!」。マクラーレンはそう答えた。

 代表監督時代のマクラーレンは、メディアにたたかれまくった。殺されかけたと言ってもいい。そんな人物が「もう1度やるか」と聞かれたら、ほんの一瞬とはいえ、もう1度やろうと思うのだ。

 このマクラーレンの答えは、イングランド代表監督という仕事の二面性を表している。イングランド人でフットボールの指導者なら、この仕事に就きたくないという人はおそらくいない。だが同時に、誰もが直感的にこれは「ヤバい仕事」だと思う。

 代表監督候補になる人物は、キャプテンがトロフィーを掲げ、国中から温かい感謝の言葉が自分に数千数万と届けられる瞬間を夢想する。だが実際に、そんなことは起こらない。近年のイングランド代表を振り返れば、誰にでもわかる。温かい感謝ではなく、氷のように冷たい言葉が数千、数万、いや数十万と浴びせられる。それ以前に、監督としての資質自体を問う言葉がつぶてのように数百万は飛んでくる。

 なぜイングランド代表監督という仕事は、こんなにも厄介なのか。フットボール界に身を置く者なら誰もが知るように、この世界で成功するほとんど唯一の道は勝つことだ。単純な話、だからイングランド代表監督は厄介な仕事なのだ。

「イングランド・フットボール」という名の怪物の食欲を満たすには、次の大会で代表は勝てないとメディアに言わせてはならない。かといって、きっと勝てると言わせるのもよくない。ファンの期待がふくらみすぎると、結果がよくなかったときの衝撃はとてつもなく大きく、重くなってしまうからだ。

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