検索

浦和レッズを強豪に変えたブッフバルト 監督として3つのタイトルをもたらした (2ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【長い足でボールを刈り取った】

 ギドが本領を発揮するのは、加入2年目の1995年である。シーズン開幕から3バックの中央に構え、守備の安定感を高めていく。

 中盤にバイン、前線に福田正博とセンターラインが固まったのは大きく、ベテランの広瀬治や伸び盛りの山田暢久、岡野雅行らが特徴を発揮していく。ギドを中心とした守備陣が相手の攻撃を跳ね返し、バインと福田(or岡野)がホットラインを形成するサッカーが、勝利に結びついていくのである。

 ファーストステージは15勝11敗で横浜マリノス、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)に次いで3位に食い込んだ。過去2シーズンはふた桁順位だったから、一気に上位へ躍り出たことになる。セカンドステージは8位にとどまったものの、年間総合ではヴェルディ、マリノス、名古屋グランパスエイトに次ぐ4位でフィニッシュした。

 2ステージ制で合計52試合を戦ったこのシーズン、ギドは51試合に出場している。34歳にしてフル稼働したタフネスさは目を見張るものがあり、そのクリーンなディフェンスは日本人DFのお手本となった。

 1対1では、まず負けない。そもそもスピード豊かなタイプではないものの、シュツットガルトでもドイツ代表でもスピードで振りきられた場面が記憶に少ないのは、リーチの長さに理由があっただろう。ギリギリまで伸ばした足が、シュートをブロックする。1対1の対応で瞬間的に逆を突かれても、長い足でボールを刈り取った。

 スライディングの技術も高かった。フォームが美しかった。伸ばした足と手を突く位置と、上半身の重心がバランスよく収まる。写真で見るギドのスライディングは、いつもフォームが同じなのだ。

 身体に染み込んだ技術が、守備者としての神髄だったのだろう。21世紀の今なら「個人で問題を解決できる」と表現される能力こそが、彼をワールドクラスたらしめたのだった。

2 / 4

キーワード

このページのトップに戻る