【Jリーグ】「飛行機ポーズ」で大人気 清水エスパルスを全国区にしたトニーニョのゴールパフォーマンス
Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第12回】トニーニョ
(清水エスパルス、浦和レッズ)
Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。Jリーグの歴史に刻印された外国人選手を、1993年の開幕当時から取材を続けている戸塚啓氏が紹介する。
第12回はトニーニョだ。この登録名でプレーしたブラジル人選手は3人いるが、今回はJリーグ開幕前の読売クラブ、清水エスパルス、浦和レッズでプレーしたアントニオ・ベネディット・ダ・シルバを取り上げる。
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トニーニョ/1965年3月23日生まれ、ブラジル・カンピーナス出身 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 1991年から1996年まで日本でプレーした彼は、「ビッグネームに負けたくない」との反骨心を胸に秘め、所属したどのチームでも結果を残した。
トニーニョと聞いて、「飛行機ポーズ」を思い起こす人は多いだろう。両手を大きく拡げて歓喜を表現する彼のゴールセレブレーションは、カズやモネールのダンスとともに子どもたちを喜ばせたものだった。
来日は1991年夏である。日本サッカーリーグのラストシーズンに、読売クラブの一員となった。186cm、79kgのサイズを持つ、重量感のあるストライカーとして。
「監督のペペとは、ブラジルのクラブで一緒に仕事をしたことがあった。カズ(三浦知良)のことも、彼がブラジルにいるころから知っていた。日本へ来ることになったのも、カズとのつながりがあったから」
ペペとカズだけではない。読売クラブにはブラジル人のスタッフと選手がいて、ポルトガル語を話す日本人選手もいた。
「だから、環境にはすぐに馴染むことができた」
日本のプレースタイルにも、すぐに適応した。
「ブラジル人が多いのは、ピッチの中でも役立った。ポルトガル語でコミュニケーションが取れるから、自分がどういうプレーをしたいのか、どういうパスがほしいのかを、すぐに伝えることができたからね」
著者プロフィール
戸塚 啓 (とつか・けい)
スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専
門誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より 7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグ ワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本 サッカー』(小学館)
























