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横浜マリノス黎明期「最高の黒子」エバートン 技術は平均レベルなのにピッチ上での存在感は圧倒的 (3ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【アルゼンチン勢の加入によって】

 監督とコーチの立場でエバートンを見てきた清水秀彦氏に、彼の得点能力について聞いたことがある。「外国人には、わりといるタイプなんだよな」と、少し笑みを浮かべた。

「練習では、そんなにシュートはうまくない。でも、試合になると決めるんだよね。そういう外国人って、けっこういるものでさ。あれは何なんだろうね。俺にもよくわからないから、本人に聞いてみてよ」

 もちろん、本人にも聞いてみる。清水の言葉を伝えると、「僕自身は練習でもちゃんとやっているんですけどね。マリノスはGKもDFも日本代表が多いから、練習だとなかなか決まらないのでは?」と笑った。

 1993年当時のチームには、GK松永成立、CB井原正巳、CBと右SBを兼ねる勝矢寿延と、3人の日本代表が揃っていた。元日本代表の平川弘、のちに日本代表となる小村徳男もいた。簡単には得点できないというエバートンの言い分にも、うなずけるところはあった。

「それはともかく」と、エバートンが言葉をつなぎ、キリッという音がするように表情を変えた。

「(木村)カズシさん、(水沼)タカシさん、去年までこのチームにいたレナトもそうですけど、シュートのうまい選手がたくさんいて、彼らと一緒に練習をしていたら、どんどんうまくなっていったんです。でも、ブラジルでも点は取っていましたよ」

 エバートンは間違いなく円熟期を迎えていた。しかし、1993年のJリーグ開幕とともに、マリノスはセリエAで活躍したFWラモン・ディアス、攻撃的MFダビド・ビスコンティを獲得した。10月には守備的MFグスタボ・サパタを呼び寄せた。アルゼンチン人によるトライアングルが完成したのである。

 翌1994年には、メンチョことラモン・メディナベージョもマリノスの一員となる。同年のワールドカップに出場する現役アルゼンチン代表ストライカーも加わったことで、チームの方向性は客観的に見ても明らかである。ピッチに立つことのできる3つの外国人枠を、4人のアルゼンチン選手がシェアすることとなったのだ。

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