浦和レッズのレジェンド山田暢久が振り返る現役時代。「ドイツ人監督は苦手な人ばかりでした(笑)」 (2ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • 木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao

リーグ初優勝は僕のなかで特別

――山田さんは1994年にデビューして、浦和がなかなか結果が出なかった時代から、さまざまなクラブの歴史を選手として見てきたと思います。そのなかでとくに心に残っている年はありますか?

 浦和がリーグで初優勝した2006年ですね。そのほかにも翌シーズンにはACLを優勝したり、2003年にナビスコカップで優勝して浦和が初めてタイトルを獲得したり、2004年はセカンドステージを優勝してチャンピオンシップでマリノスに負けたり、2005年は天皇杯で優勝しています。浦和が一気に駆け上がっていった時代でした。

 でも、やっぱりリーグの初優勝は僕のなかで特別で、もっとも価値があるものだと思っているんです。そのためにずっとやっていたと言っても過言じゃなかったですね。

――2004年にクラブのOBでもあるギド・ブッフバルトさんが監督に就任してから浦和が次々とタイトルを積み上げて、最初の黄金期という時代でしたね。

 社長がまだ犬飼基昭さんの時代でした。それまで浦和はいろいろな環境がよくなかったんですけど、クラブハウスを新しくしてくれたり、優勝を狙うための選手を集めてくれたり、クラブが本気で力を入れてくれた頃だったんです。

――山田さんがキャプテンマークを巻くようになったのもこの頃でしたよね。

 あれは僕が日本代表の合宿で、宮崎に行っている時だったと思います。ギドから電話がかかってきて、日本語で「キャプテンお願いします」と言われたんですよ。

 僕はのびのびやりたくて、あまりキャプテンとか、そういう責任を負いたくないタイプだったんです。でもギドに直接、しかも日本語でお願いされてしまったら断るわけにもいかないですよね。だから、一瞬だけ考えましたけど「わかりました」と引き受けました。

キャプテンとして優勝のシャーレを掲げた2006年は、やはり特別な思いがあるという photo by Getty Imagesキャプテンとして優勝のシャーレを掲げた2006年は、やはり特別な思いがあるという photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る――キャプテンとして浦和に初のリーグタイトルをもたらすことができたのは、やはり特別な思いがありましたか?

 優勝したからこそ、よかったと思えますよね。あれで優勝してなかったらどうなっていたかわからない。でも結果として多くのタイトルを獲得できて、キャプテンの特権としてシャーレやカップを掲げることができて、それは本当にいい経験をさせてもらったなと思っています。

――リーグ優勝した時の心境はどんなものだったんですか?

 僕が入団した当時は、お荷物クラブと言われていましたからね。まさか優勝できるようなチームになるなんて思ってもいなかった。ただ、クラブが本気で優勝を狙うんだと意思表示をして、それを行動でも示してくれたので、プレッシャーを感じることもありましたね。でもいま思い返すと、優勝するまで長かったなと思います。

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