かつてJリーグにいた「浪速の黒豹」パトリック・エムボマ。今でも記憶に残っている日本人選手とは? (3ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • 木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao

「宮本が面倒を見てくれた」

 得点王となったあと、カメルーン代表では1998年のフランスW杯出場に貢献。2000年のシドニー五輪ではオーバーエイジ枠で出場して金メダルをもたらし、アフリカ年間最優秀選手賞を受賞した。ガンバでの活躍はエムボマのキャリアにとって間違いなく大きなターニングポイントとなった。

 ガンバからカリアリへと移籍後、パルマ(イタリア)、サンダーランド(イングランド)などを経て、2003年に東京ヴェルディ1969(現・東京ヴェルディ)に加入。35試合で17得点と結果を残したが、ケガに苦しみ、最後はヴィッセル神戸で2005年シーズン途中に引退した。

 エムボマが日本でプレーしたのは約3シーズン半。ともにプレーしたなかで印象深く残っている選手たちを教えてもらった。

「まずは宮本(恒靖)ですね。あの頃、彼はまだ非常に若かったけれど、非常にいい選手でした。英語を話せたので、私がチームに溶け込むためにいろいろと面倒を見てくれました。彼から受けた恩も含めて最初に名前を挙げたいと思います」

 当時の宮本恒靖はトップデビュー3年目の20歳。若いながら持ち前の語学力を生かして外国人選手の面倒をみるなど、のちに日本代表のキャプテンとしても活躍する器量を感じさせていた。

 次に名前が挙がったのが中田英寿だ。

「ベルマーレ平塚とのデビュー戦でも対戦しましたが、中田はとても優れたミッドフィルダーだという印象がありました」

 宮本と同い年の中田も当時20歳。この年に初めてA代表に招集され、すぐに中心選手となった。そのポテンシャルの高さはエムボマにも際立って写っていた。

「元ヴィッセル神戸の播戸(竜二)は出会った頃は、本当に若かったですね」

 1998年に播戸竜二は高卒でガンバに練習生として入団し、エムボマと出会っている。それから時が流れ、2004年にヴィッセル神戸で再会となった。

「あれからストライカーとしての能力を伸ばして、日本代表に名を連ねるまでに成長しました。本当にすばらしい選手だったと思います。それから山田(卓也)は私のいい友人でもあって、中盤で非常に質の高い選手でした」

 東京ヴェルディ時代から友人でもあるという山田卓也の名前も挙がった。ガンバで同年にデビューした稲本潤一を覚えているか聞いてみた。

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