「ハリルはプレゼン資料を用意していた」。霜田元技術委員長が見た歴代日本代表監督の素顔 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

【ロペテギは考え方が近いと思った】

――技術委員時代、ハリルはそうやってプレゼンしたとか。

「何人か監督と交渉するなか、ハリルは資料を作って代表の試合もビデオで見て、ビジョンもあった。当然、そうじゃない人もいた。それで自分が監督になったら、しっかりプレゼンしようと思った。それは山口の時も同じ。選手を口説くのも、それを見せている。"こういうサッカーやる"というのを言語化し、映像も作って『お前が来たら、ここでこのプレーを』と、視覚化もしている」

――各クラブで選手強化もしてきた経験が生きていますね。

「(選手獲得交渉では)強化部長の隣に座って、話をしているよ。大宮でやったら面白そうだなと、思わせられるか。同じ船に乗って一緒に1年やるなら、同じ方を向いてやりたいから」

――世界の監督と霜田さんのように親交を深めている日本人監督はいないでしょう。2年前にはセビージャでフレン・ロペテギ監督(スペイン代表、レアル・マドリードを率い、現在はセビージャ監督)と会って話したそうですね。

「ロペテギとは会って話した時、(考え方が)近いなと思った。3日間、非公開のトレーニングをじっくり見せてもらい、ポルトガル語で話は弾んだよ。彼はFCポルトにもいたからね。アンカーの使い方とか、取り入れたこともある。日本人が思っているアンカー像はフォアリベロ、センターバックの前にいる感じでしょう。でもセビージャの(ブラジル人MF)フェルナンドは下に落ちる、前に出て行く、横にずれる、そのたびに違う選手がアンカーに入ってくる。ロペテギに共感したのは、『アンカーはポジションではなくて概念』という話。必ずしもそこにいなくていい、ズレたら誰かが入る。考えてプレーしないといけないから、難しいんだけど」

――最後に代表監督を選んでいた立場で、いつか代表監督という野望は?

「代表監督は、やってみたいと思うものではない。それでできてもいけないと思う。選手が代表に選ばれるように、監督も代表に選ばれるべき。だから選ばれるようになったらすばらしいことだけど、自分は監督としての実績を積んでいくだけです」

霜田正浩(しもだ・まさひろ)
1967年2月10日生まれ。高校卒業後、ブラジルに留学。帰国後、JFLのフジタ工業(現湘南ベルマーレ)、京都紫光クラブ(現京都サンガ)などでプレー。1993年に現役引退後、指導者の道へ。2010年、日本サッカー協会技術委員就任。2014年同技術委員長就任。その後、レノファ山口、サイゴンFC監督などを経て、2021年シーズン途中から大宮アルディージャ監督に就任。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る