大宮アルディージャ・霜田正浩監督が明かす、昨シーズン「奇跡のJ2残留」の舞台裏 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

【受け身でサッカーしても何も残らない】

「"残留争い"ではなく、『自分たちが主人公になるサッカーをやろう』と伝えた」

 霜田監督はそう明かす。大宮を立て直した戦いに見る「霜田式サッカー」とは?

――霜田さんが大宮の監督を引き受けた時、最下位と同じ勝ち点の21位でした。まず、何が残留のために必要と感じましたか?

「(前年に率いていた)山口時代に対戦して、選手のキャラクター、ポテンシャルは21、22位のチームではないってわかっていました。でも、話をもらった時に何試合か見て、みんな元気がなかった。まず、やるべきはメンタルの改善でしたが、負け続けていたチームに自信を持たせるのは難しい。いきなり『自信もってやれ』と言っても、なかなかできない。小さな成功体験を積み上げ、"自分たちがやっていることは正しい、これなら降格圏を脱して残留できる"と、明確な道筋を照らす必要があった。最初はメンタルの話しかしなかったですが」

――負け癖は惰弱さ故なのか、甘えがあったのでしょうか。

「甘えという表現が適切かはわからない。ただ、"残留争いするチームじゃないよな "って外の人たちは思っていて、中の人も、周りにそう言われると、"負けているけど、たぶん大丈夫"となっていた。そこで僕は"大丈夫の根拠は何?"というところから話をしようとしました。『僕らは絶対に落ちない。でも、条件はあるよ。戦わないといけないし、どうやって勝つかをちゃんと作っていかないと勝ち点はとれない』と。

(残留した)今だから言えるけど、残留は結果で、いい選手が揃って、メンタルが充実して、やるサッカーを明確にしたら、残留はできると思っていた。途中まで『残留争い』と口にしなかったほどでした」

――就任後10試合は2勝2敗6分け、次の8試合が4勝2敗2分け、14位まで順位を上げた後、6試合は勝ち星がなく、最終節で勝利して残留を決めました。開幕以来の不調のツケか、波は出ました。

「残留争いするために"ガチガチに守って、失点したくない、負けたくない"なんてするつもりはなかった。受け身でサッカーしても何も残らない。大きな賭けだったけど、得点されたくない、ではなくて、得点したい、ボールを奪いたい、勝ちたいという能動的サッカーをやろうと。『自分たちが主人公になるサッカーをやろう』と伝えた。

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