興梠慎三「選手としてのモチベーションはあまりなかったかも」。そこから起こった心境の変化、移籍を決めた理由 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by (C)2022 CONSADOLE

「そうですね。一番はそこです。Jリーグのタイトルを毎年のように獲れるところまでいっていたのに、最後の最後で負けてしまって逃したシーズンがたくさんありましたから。周りからも『ミシャはタイトルを獲れない監督だ』と言われたりしましたけど、そういう監督ではないことを、このコンサドーレで証明したいですね」

---- 興梠選手にとって、ペトロヴィッチ監督の存在はどういったものなのですか。

「もちろん、今までたくさんの監督と仕事をしてきたなかで、みなさんのことを尊敬していますし、多くのことを学ばせてもらいました。ただ、勝っている時はいいですけど、勝てなくなった時に自分のスタイルを貫くよりも、相手に合わせてしまう監督もたくさんいました。

 それを否定するわけではないですが、ミシャはどんな時でも『自分たちのサッカーをして勝つ』という考え方を持っている人。大敗した次の試合でもまったくブレるところがないんです。僕は、そういうところが好きなんですね。哲学を貫ける魅力的な人だと思います」

---- 以前、佐藤寿人さんが「慎三はミシャの下でストライカーとして覚醒した」と話していましたが、実際にそういう感覚はありますか。

「そうですね。僕に限らず、たくさんの人がミシャの下で成長したと思いますし、そのなかのひとりであることは間違いないと思います。ミシャのサッカーで1トップを務めれば、確実にふたケタ得点は取れると思いますから」

---- 具体的にどういうところを一番成長させてもらったと感じていますか。

「鹿島から浦和に来た時に、ミシャには前で身体を張ってキープしてほしいと常に言われていました。自分自身、それまではそういったスタイルではなく、どちらかというと裏に抜けるプレーが多かったんですが、ミシャの下でプレーするようになってから、今の自分のスタイルが作り上げられたと思っています。そういう意味でも、ミシャには感謝していますね」

---- 札幌からは何度かオファーがあったと聞いています。このタイミングで移籍しようと思ったのは、なぜでしょうか。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る