Jリーグバブルから30年。伝説の開幕戦を率いた両監督が語る日本サッカーの今後の課題「ものすごく不安」な点もある (2ページ目)

  • 中山淳●構成 text by Nakayama Atsushi
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

清水 全体として、選手の技量は上がりましたよね。そして何より、J2、J3を含めてJリーグのクラブが日本全国に広まったことが大きい。わずか30年で、ここまで全国に広がるとは思ってなかったですから、すごいことですよ。

 それは、日本全国にスタジアムや練習場などサッカーができる場所が増えたことを意味するわけで、特に子どもたちがサッカーをする場所をたくさん作れたことが、Jリーグ最大の功績だと思います。だからこそ、プロを目指す子どもたちが増えて、日本代表もW杯の常連になって、普通に五輪にも出場するというような好循環が生まれた。

 ほかの国から見たら、日本は100年かけてやるようなことを30年でやったわけです。これは紛れもない事実で、すばらしいことですよ。

---- たとえば、Jリーグ発足当時にサッカー界がガラリと変化するなかで、監督としてプロ化してよかったと感じたことは何かありましたか?

清水 まずひとつは、プロというものについて、みんなの理解が深まったということですね。当時は水曜と土曜に試合があって、それこそ息つく暇もないような強行日程でしたが、開幕当初は選手たちが周りの期待に応えようと必死になって毎試合100%のエネルギーでプレーしていたので、シーズン途中で身体がボロボロになっていくわけです。

 でも、それでは試合のクオリティも低下してしまいますよね。そこで、シーズンを重ねるごとにコンディション作りという考えと、その方法などをみんなが熱心に学び始めた。そうやって、少しずつプレーの質を上げてきたことも、ある意味でプロ意識の象徴ですよ。

 それと、選手の環境面。あの当時はJリーグバブルだったから、選手の年棒が急騰した。トップの選手ならまだしも、サテライトの選手も結構なお金をもらえる時代でしたから、Jリーガーはお金がたくさんもらえて華があるというイメージが世間に浸透したので、それを目標に頑張ろうとする子どもも増えた。これも、よかったことだと思います。

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