松木安太郎×清水秀彦スペシャル対談。1993年開幕戦「ヴェルディvsマリノス」の両監督が伝説の一戦を語る (2ページ目)

  • 中山淳●構成 text by Nakayama Atsushi
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

松木 あの満員のスタンドの雰囲気はすごかった。やっぱりプロになって見せ方も相当に変わったと思うんです。見せ方のところにもプロが入ってきたというところが、それまでとの大きな違いじゃないですかね。

清水 それと、試合を見に来るファンも相当に変わりましたね。単に試合が面白そうだからスタジアムに行こうというのではなくて、みんながワクワクしながらスタジアムに来ているのが、こっちにも伝わってくるんですよ。

松木 あれは、まさにブームでしたよ。あの頃の試合は、どれもプラチナチケットばかりでしたしね。

清水 だから、相当にプレッシャーを感じていたのをはっきり覚えています。日産自動車の監督をしていた時にプレッシャーなんて感じたことはなかったし、そもそもプレッシャーを感じないタイプなはずなんだけど、さすがにあの時はね。

---- 当時の両チームの関係性でいうと、ヴェルディは読売クラブの時代から日産に7年間、実に17試合にわたって未勝利という背景がありました(12敗4分)。相手に対する苦手意識があるなか、松木さんはマリノスとオープニングマッチを戦うことについて、どのように感じていましたか?

松木 たしかにそういう事実はありましたけど、でも、あの試合に関しては相手チームうんぬんということはまったく考えませんでしたよ。それよりも、あの年はW杯予選があったので、日本代表選手が不在になることが多かったことのほうが大変でしたね。

 カズ(三浦知良)、ラモス(瑠偉)、柱谷(哲二)、武田(修宏)、北澤(豪)、都並(敏史)など、とにかく主力のほとんどが日本代表選手でしたから、なかなか全員が揃って練習する時間がなかったんです。そういう意味で、オープニングマッチを戦うための準備がかなり難しかったという記憶がありますね。

 それと、当時のマリノスの印象としては、ラモン・ディアスが嫌だなって思っていました。彼は世界的なストライカーでしたからね。逆に、僕のチーム作りのコンセプトには「主軸は日本人選手で」というテーマがありましたから。当時は「日本人選手が主食で、外国人選手はスパイスになってほしい」という表現を僕はよく使っていましたが、主食になる外国人選手は必要としていませんでした。

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