アルシンドが選んだ自身のベストゴールと日本のベストプレーヤーたち。「カズは外せない。井原は頭痛の種だった」 (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

【すばらしいサポーターとサインの思い出】

 日本に帰るたびに、私はすぐに鹿島に飛んでいく。やはり最初に住んでいた町は思い出深い。あそこにいると自分の家に帰ったみたいな気になるんだ。道もすべて頭に入っているし、店も、住む人も知っている。みんなすごくいい人たちで、ピッチの中でも外でも多くの友達ができて、彼らとは今もつながっている。日本に行った時は必ず会いに行くよ。それからもちろん、親友のラモスにも会いに行く。

 当時、日本で一緒だった友人と、ここブラジルで会うこともある。もちろんジーコもだ。この正月には彼が主催するチャリティマッチにも出場した。それからジーニョ、ビスマルクなんかとも時々会って、日本時代の話に花を咲かせる。いくら話しても、しゃべる内容は尽きないんだ。故郷から遠く離れ、文化の違う国でいろいろなことがあったけれど、あの頃、日本でプレーできたことは本当にすばらしい経験だったと、最終的には必ずそういう結論になるんだ。

 サポーターとの関係もすばらしかった。日本人サポーターのような人たちを私はほかには知らない。すごく印象的だったのは、日本ほど選手のサインを大切にする国はないということだ。よく日本の子供たちが、勇気をふりしぼるようにして、私にサインを頼みに来た。恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがないんだけど、それでも私のサインにはありったけの勇気をふりしぼるだけの価値がある。そんな感じを受けて、感動したよ。いや、子供だけじゃない、大人もお年寄りもサインをほしがった。そんなこと、ブラジルではほとんどない。サインをもらうための特別の四角い厚紙があったのにも驚いたね。

 1年が経って鹿島が重要なチームに成長してくると、サイン攻撃はあらゆる方面からやってきた。コップ、シャツ、ボール、シューズ、キャップはまだ当たり前なほうで、傘やネクタイ、バッグ、腕に直接書いてほしいと言われたこともあったよ。

 それから私のヘアスタイルを真似してくれたサポーターがいたのにも驚いたね。始めは信じられなかったが、しばらくしてそれが流行りだしたものだからもっと驚いた。本当にうれしく名誉なことだったよ。

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