今季30年目のJリーグ。各時代で無敵を誇ったチームたちの最強布陣を紹介 (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

鹿島アントラーズ(2000年)

国内三冠を達成した鹿島アントラーズの2000年のフォーメーション国内三冠を達成した鹿島アントラーズの2000年のフォーメーションこの記事に関連する写真を見るFW/平瀬智行(鈴木隆行)、柳沢敦 
MF/ビスマルク 
MF/中田浩二、小笠原満男 
MF/本田泰人(熊谷浩二) 
DF/相馬直樹、ファビアーノ、秋田豊、名良橋晃 
GK/高桑大二朗 
監督/トニーニョ・セレーゾ 

 鹿島アントラーズの母体となった住友金属は日本サッカーリーグ2部に所属していたが、ブラジルの至宝ジーコと契約し、サッカー専用スタジアムを建設したことでJリーグの"オリジナルテン"に名を連ねた。

 そして、徹底して勝負にこだわるジーコの指導でチーム強化が進み、1993年つまりJリーグ初年度の第1ステージで優勝してサッカー界を驚かせた。この年はチャンピオンシップでV川崎に敗れたものの、以後、年間優勝回数はJリーグ最多8回を誇る。

 いつの時代もJリーグのトップにいた鹿島だが、最強と言えるのはJリーグ、天皇杯、ナビスコカップの三冠を達成した2000年か。当時、毎年のように繰り広げられたジュビロ磐田とのハイレベルの争いも忘れられない。

 初期の鹿島はジーコ、ジョルジーニョ、レオナルドなどブラジル人選手の力が大きかったが、2000年は名良橋晃、秋田豊、相馬直樹、本田泰人を揃えた日本代表クラスの守備陣をベースに、新進気鋭のストライカー柳沢敦や1999年ワールドユース(現U-20ワールドカップ)で準優勝した「黄金世代」の小笠原満男、中田浩二、本山雅志が加わった若手主体の攻撃陣が躍動。記録にも記憶にも残るチームだった。

ジュビロ磐田(2001年~2002年)

ジュビロ磐田の「N-BOX」システムジュビロ磐田の「N-BOX」システムこの記事に関連する写真を見るFW/中山雅史、高原直泰 
MF/藤田俊哉、奥大介 
MF/名波浩 
MF/福西崇史、服部年宏 
DF/大岩剛、田中誠、鈴木秀人 
GK/ヴァンズワム 
監督/鈴木政一

 Jリーグ初年度は旧JFLで戦ったが、2年目の1994年にJリーグに加盟。チームの基礎作りがうまい前日本代表監督のハンス・オフトを招聘。さらに、オランダ代表のジェラルド・ファネンブルグや1990年ワールドカップ得点王のサルヴァトーレ・スキラッチ、ブラジル代表主将のドゥンガといったワールドクラスとも契約した。

"闘将"と言われたドゥンガから勝負に対する厳しさを学んで急速に強化が進み、1997年には鹿島アントラーズを破って初優勝。その後、数年間は鹿島との激しい覇権争いが続いた。

 1999年には敵地テヘランの10万人の観客の前でイランのエステグラルを破ってアジア王者となり、2001年にはスペインで開かれる予定だったFIFA主催の世界クラブ選手権に出場し、開幕戦でレアル・マドリードと対戦することが決まっていた(大会は中止となった)。

 この大会で戦うために鈴木政一監督が編み出したのが、名波浩を中心に攻撃的MFの藤田俊哉と奥大介、守備的MFの服部年宏と福西崇史を置いた「N-BOX」。ウイングバックを置かない3-5-2だった。

 最終ラインは田中誠を中心とした強力3バックで、トップには当時の日本を代表するストライカーの中山雅史と高原直泰がいた。「黄金期」の集大成となった2002年は26勝1分3敗という圧倒的な成績で第1、第2ステージを制して完全優勝。ベストイレブンにも7人が選出された。

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