2022.01.25

ミランか鹿島アントラーズか。24歳の現役ブラジル代表・レオナルドは日本を選んだ

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

【トヨタカップで初の来日】

 移籍した時、レオナルドまだ21歳、家族や友人、祖国から離れ、最初はかなり難しい時期もあった。チームにはかなり年上のブラジル人選手がひとりいたが、彼はほぼ独力ですべてに慣れなければいけなかった。言葉も文化も何もかも。バレンシアの町では何度も道を間違えて迷子になったという。しかし若かっただけに彼はすべてを吸収していった。

 レオナルドはここでもすぐにレギュラーとなり、1991-92シーズンには、リーガの全選手のなかでプレー時間が最も長いプレーヤーとなった。テクニカルでフィジカル、仲間との折り合いもよく、彼はたちまちチームのスターとなった。レオナルドの名前はより知れ渡り、ミランとバルセロナが彼をほしがった。だが、バレンシアも手放そうとはしなかった。

「今思い起こしても、スペインにはいい思い出しかない」とレオナルドは言う。最初の結婚をしたのもバレンシアだった。

 この頃、古巣のサンパウロは絶好調で、92年、93年とリベルタドーレス杯を連覇、92年にはトヨタカップでヨーロッパチャンピオンのバルセロナを破り、世界ナンバー1クラブとなっていた。しかし93年の夏に、ライーがPSGに引き抜かれてしまう。その頃のサンパウロはライーを中心に作られたチームだっただけに、トヨタカップ2連覇を狙うサンパウロは早急にチームを作り直す必要があった。そこでテレ・サンターナが思い出したのがレオナルドである。

 レオナルドはかつての恩師のたっての願いでサンパウロに復帰し、ライーの背番号10番を引き継いだ。しかし、テレ・サンターナはそのままレオナルドをライーのポジションであるトップ下ではなく、彼の特性を生かせる左サイドに入れた。さすがに知将である。レオナルドはその期待に応え、サンパウロはトヨタカップ2連覇を達成した。レオナルドは左サイドを支配し、得点に結びつくアシストをする活躍を見せた。

 この時のレオナルドのプレーに魅了されたのが、対戦相手のミランと、彼のプレーを目の当たりにした、Jリーグが発足したばかりの日本だった。ミランは実は彼がバレンシアでプレーを始めた91年くらいから注目していたのだが、驚くことに、彼が次の移籍先に選んだのは日本のほうだった。