ミランか鹿島アントラーズか。24歳の現役ブラジル代表・レオナルドは日本を選んだ (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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【大きかったジーコの影響】

 若きレオナルドに最も影響を与えた選手は、まぎれもなくジーコだろう。幼いころからフラメンギスタだった彼の一番好きな選手でもあった。ジーコの横でプレーすることに彼はいつまでたっても慣れなかったという。

「すぐ隣にジーコがいるのが信じられず、これは夢だと思い、一緒に写っているチーム写真も合成ではないかと疑ったよ。ジーコからパスをもらうのは毎回大事件で、自分を信じてパスをしてくれたと思うと鳥肌が立った。それもサッカーの殿堂マラカナンでだよ」

 ピッチの内外で礼儀正しく真面目な態度は、ジーコの真似から始まったと彼は言う。

 ジュニオールも彼の目標でもあった。レオナルドは当時SBとしてプレーすることが多く、レオナルドはジュニオールの後継者とも見られていた時期もあった。

 もちろん、すべてが夢のようではなかった。89年、フラメンゴはカンピオナート・カリオカ(リオ州選手権)のタイトルを逃し、サポーターはチームを批判。なかでもいいプレーをしなかったとレオナルドは個人的にかなり叩かれ、彼はかなりのショックを受けた。選手としての最初の試練である。

 90年、サンパウロの監督に就任したばかりの名将テレ・サンターナはチームの強化を図っていた。そこでかつてブラジル代表で教え子だったジュニオールにレオナルドのことを尋ねた。するとジュニオールはレオナルドを絶賛した。曰く、DF、MFすべてでプレーでき、パスもパーフェクト、ドリブルもうまい。

 その言葉を信じて、監督はレオナルドを獲得した。フラメンゴと異なり当時のサンパウロは若いチームで、レオナルドはすぐにレギュラーに落ち着いた。左右のどちらのサイドでもプレーできることが彼を大いに助けた。1年後にはライーらとともにブラジル全国リーグを制覇した。

 しかし、レオナルドは結局1シーズン半でサンパウロを去ることになる。ヨーロッパのチームが放ってはおかなかったからだ。多くのチームが彼をほしがるなか、レオナルドを勝ち取ったのはスペインのバレンシアだった。当時のバレンシアはスペインで、バルセロナ、レアル・マドリード、アトレティコ・マドリードに次ぐビッグクラブだった。

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