旗手怜央がセルティック移籍を決意したきっかけ。東京五輪で「ボールを止めてもつぶされるし、ボールを蹴っても止められる」 (4ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

【FWの部分は絶対に消したくない】

 川崎でプレーした2年間ではサイドバック(SB)として新たな境地を切り開いたように、強さ、うまさ、そして、したたかさを身につけた。世界へ飛び出していく彼にどんな選手になりたいかと問いかけた。

「僕も正直、今はわからないです(笑)。ただ、ユーティリティーと言われることには抵抗があります。ユーティリティーっていい言い方ですけど、悪く言えば器用貧乏とも捉えられますよね。僕は決してそうなりたいわけじゃない。ただ、サッカー選手として生き抜いていくためには、どこでもプレーできる能力もひとつの才能というか、必要なのではないかと思っています。

 そのポジションでしか試合に出られないよりも、どのポジションであっても試合に出られるほうがいいですからね。だから、新天地でSBをやってくれと言われたら、決してやりたくないとは言わないでしょうね(笑)。試合に出ることで次につながるはずなので。ただ、もともとはFWなので、そこの部分は絶対に消したくはない。だから、SBであろうとも点をとりに行きたいですし、その思いもなくしたくはないんです」

 あまりに複数のポジションを高次元でプレーしていただけに忘れていたが、根底に流れているのはゴールを欲するストライカーのそれである。一方で、新たな世界に飛び込むことにワクワクしているかと聞けば、素直にこう答える。

「正直、怖さはあります。でも、それ以上に自分がどこまでできるのか、楽しみでもあります」

"不安"と"期待"――その両面を認められる素直さも旗手怜央という選手の魅力なのだろう。川崎で確かな成長を見せた彼は、次なる舞台・スコットランドへと飛び立つ。その胸には、自信を深めた確かな2年間の足跡がしっかりと刻まれている。
(おわり)

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