旗手怜央が川崎フロンターレで見せた濃い成長の記録。サポーターの前で見せたどの涙にも理由があった

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • photo by Getty Images

【連覇で涙。天皇杯でまた涙】

 身体だけでなく、頭も整理した旗手は、J1第29節の徳島ヴォルティス戦で戦列に復帰した。

 それは鬼木監督が「チームの覚悟を見せる5連戦」と表した1発目の試合だった。

「復帰した徳島戦は、ここで自分らしいプレーを見せられなければ、この先、試合には出られないだろうという覚悟を持って臨みました。頭のなかが整理されたこともあって、インサイドハーフでのプレーも感覚をつかむことができ、チームにも貢献できているかもしれないと思えた最初のゲームになりました」

 その徳島戦に3-1で勝利すると、J1第30節の湘南ベルマーレ戦ではゴールをマークしたように、旗手は5連戦すべてに先発し、5連勝に貢献した。

 11月3日、J1連覇を達成した時には、再び号泣する旗手の姿があった。ただし、その涙の意味は広島戦とは全く違っていた。

「プロ1年目だった2020年にJ1で優勝した時は『ああ、優勝したんだな』というくらいの感覚でしたけど、2021年は出場時間も増え、自分自身でも徐々にチームの中心になれてきた感覚もあったので、本当の意味でリーグ優勝に貢献できたという実感を抱くことができました。それもあって、みんなが優勝して喜んでいる姿を見たら、苦しかったけど、がんばってきてよかったなと思えて、本当に自然とあふれてしまった涙でした」

 頬を伝って流れたのは、"成長"と"貢献"というふたつの思いだったのだろう。

「個人的な数字で見れば、結果は残せていないかもしれないですが、SBがいない時に本来SBではない自分がプレーし、インサイドハーフでプレーできる選手がたくさんいるなかで競争を勝ち抜いてきた自信もありました。それもあって感じることができたチームへの貢献と優勝だったと思っています」

 12月12日、等々力陸上競技場でのシーズンラストマッチだった天皇杯準決勝で、大分トリニータに敗れたあとも、旗手は涙を流していた。

「僕のなかでは、フロンターレのユニフォームを着て戦えるのは、あと1試合しかないと思っていたので、そのもう1試合をみんなと一緒に戦いたかった。それに最後のホーム等々力での試合だったので、自分らしいプレーをファン・サポーターの人たちに見せたかったという思いがあったんです。PK戦になり、(途中交代していたので)外からチームのみんなを応援することしかできなかった自分が不甲斐なくて......」

 それは、この2年間で多くの成長を実感してきた"悔しさ"と"感謝"からこぼれた涙だった。
(「海外移籍を決意したきっかけ」後編へつづく>>)

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る