福田正博が語る、阿部勇樹と大久保嘉人。記憶にも記録にも残るふたりの功績とは? (3ページ目)

  • text by Tsugane Ichiro
  • photo by Getty Images

【大久保嘉人はゴールを堪能する時期があってよかった】

 大久保嘉人は天皇杯準決勝でピッチを去る最後の瞬間まで、実にストライカーらしい姿を見せてくれた。彼のサッカーキャリアを見て思うのは、2013年から2016年に、川崎フロンターレでゴールを奪う醍醐味を堪能する時期があってよかったということだ。

 大久保は2010年、2014年のW杯日本代表になり、マジョルカ(スペイン)やヴォルフスブルク(ドイツ)でもプレーしたが、サッカーキャリアのほとんどはストライカーとしてフラストレーションを溜めることが多かったのではないだろうか。

 若い頃から得点に貪欲だった。だが、中盤でもプレーできる能力を持っていたがために、我慢強く前線で張ることができずに中盤に下りてしまい、結局はシュート機会まで逃す。そんな印象があった。

 それが川崎には崩しを任せられる選手たちが揃っていたため、大久保はフィニッシュワークに徹することができた。中村憲剛という稀代のパサーがいたのも大きかっただろう。2013年から史上初の3年連続Jリーグ得点王となり、川崎でのゴール量産があればこそJ1通算最多191得点の記録も作れた。

 FWというのはどれだけ能力が高くても、味方に恵まれなければ才能をフルに発揮できないまま選手生活を終えることも少なくない。こればかりは本人の努力ではどうにもならない巡り合わせだ。それだけにサッカーキャリアの終盤にストライカーの仕事に専念できる環境に身を置けたのは、同じFWとして安堵する部分でもある。

 大久保はピッチではやんちゃで、サッカー小僧がそのまま大人になったような言動や行動をするが、裏表がなくて喜怒哀楽に溢れた人間味がある。引退後はどうするかはわからないが、あのサッカーIQの高さを後進の指導にも生かしてもらいたいなと思う。

 そして、今季限りで引退した阿部と大久保をはじめ、昨季引退した中村憲剛や佐藤寿人などが監督としてJリーグに戻ってくる。そんな日が早く訪れるのを心待ちにしている。

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