福田正博が語る、阿部勇樹と大久保嘉人。記憶にも記録にも残るふたりの功績とは? (2ページ目)

  • text by Tsugane Ichiro
  • photo by Getty Images

 若い頃の阿部でもっとも印象に残っているのは、2004年のアテネ五輪だ。山本昌邦監督の下、最終ラインには田中マルクス闘莉王、中盤には阿部勇樹と今野泰幸、松井大輔、駒野友一がいて、前線には大久保嘉人。そこにオーバーエイジでGK曽ケ端準とMF小野伸二が加わった。

 阿部は『和製ベッカム』と異名を取るほど、フリーキックやコーナーキックで鋭く曲がる精度の高いキックを持っていたが、アテネ五輪初戦のパラグアイ戦ではFKを譲った。これを山本昌邦監督に注意され、次戦のイタリア戦で見事にFKから直接ゴールを決めた。そのゴールの印象が強烈に焼きついている。

 阿部がFKを蹴らなくなったのは、イビチャ・オシム監督の日本代表時代だ。オシム監督が阿部のキッカーとしての能力よりも、ヘディング能力を買ってゴール前に入れたからだ。きっと当時のオシム監督も「阿部がふたりいれば...」と思ったのではないだろうか。

 岡田武史監督の下では2010年南アフリカW杯を戦ったが、ベスト16に進んだ功労者は間違いなく阿部だった。だが、派手なパフォーマンスはしないし、もともと目立つポジションではないのもあって、そのすごさが見過ごされることもあったように思う。

 メディアに対しても、オシム監督から「メディアに対して発信するなら責任を持て」と言われてきて、性格的に「それなら発信しない」と多くを語らなかった。

 そんな阿部をひと言で表すなら『真のプロフェッショナル』だ。彼の発言で印象深いのが、「チームがうまくいっている時は自分は表に出ません。でも、チームがうまくいかない時こそが自分の仕事だと思っています」という内容の言葉だ。実に阿部らしいなと感じたものだ。

 必要な時は先頭に立つ覚悟もあるし、芯の強さもある。能力の高さだけではなく、人間的にもすばらしいからこそ、監督やコーチ、チームメイトみんなから信頼されたのだ。

 今後は指導者の道を進むという。海外でのプレー経験もあるし、国内外のさまざまな監督の下でサッカーをしてきたことで、トレーニング方法などの引き出しも豊富にあるだろう。

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