「ストライカーとして死にかけていました」。ベガルタ仙台降格の陰に、FWとしての生き残りをかけて戦っていた男の葛藤

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by Getty Images

瀬戸際で戦った男たち(2)富樫敬真

 11月20日、仙台。富樫敬真(28歳、ベガルタ仙台)は2人一組のパス練習できびきびと動いていた。引き締まった顔に鋭気が満ちる。動きも俊敏で、体は絞れているようだった。

「FWとしての成長を、いつからか勘違いしていました」

 富樫は少し自嘲気味に言った。J1昇格を狙っていたV・ファーレン長崎からJ1残留を争う仙台へ。彼は何を求め、移籍したのか?

 2015年、富樫はJ1の横浜F・マリノスとの契約を大学時代に勝ち取っている。2016年にはリオ五輪代表候補に選ばれ、カップ戦を含めて25試合出場6得点を記録。アメリカ人の母のおかげか、上半身の筋力を生かしたキープ力は異彩を放ち、ヘディング、ボレーシュートを打つ感覚は非凡なものがあった。2018年にはFC東京に移籍。序盤は先発を確保したが、得点数は3と伸び悩んだ。

 2019年にはプレー機会を増やすため、J2町田ゼルビアに飛び込んだが、苦しんでいる。2020年は同じJ2の長崎に新天地を求めたが、やはり得点数を二桁に乗せることはできなかった。そこで巡ってきたJ1の舞台。残留争いだろうと何だろうと構わなかった。

「(長崎では)監督が代わったこともあって、なかなか出場機会に恵まれず、移籍の話が正式にきた時には迷いはなかったです。J2のクラブで出られないことに危機感は感じていました」

 富樫はそう言って、仙台移籍の経緯について説明している。

8月、J2のV・ファーレン長崎からJ1のベガルタ仙台に移籍した富樫敬真8月、J2のV・ファーレン長崎からJ1のベガルタ仙台に移籍した富樫敬真この記事に関連する写真を見る「J1では仙台以外のクラブからも話はもらい、移籍の準備だけはしていたのですが、なかなか正式な話にはならなくて。そこであらためて、仙台に声をかけてもらった。誰に引っ張られたのかという内情は聞いていませんが、手倉森(誠)監督は長崎でも一緒にやらせてもらっていたので......。(仙台が下から2番目という)難しいタイミングでの移籍でしたが、J1から呼んでもらえることはなかなかないので、残留させるため、"絶対に力になりたい"っていう思いでした」

 長崎での新婚生活では子供にも恵まれ、軌道に乗った生活を満喫していたが、迷いはなかった。ストライカーとして突き抜けたい。その野心に突き動かされた。

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