2021.12.27

大久保嘉人が語る高校サッカーの想い出と小嶺忠敏の指導法。「当時の国見には人間性がダメな選手なんていなかった」

  • 松尾祐希●取材・文 text by Matsuo Yuki
  • photo by AFLO

【自主練は毎日必ずやっていた】

――国見高校の昔話でよく聞くのは、厳しい走りのトレーニングです。実際にはどうだったのでしょうか?

「具体的な距離とかをいろんな人に聞かれるんですけど、数えきれないぐらい走っていましたからね。何kmとか考えたこともないし、とにかく走っていた感じ。ただ、毎日走っていたわけではなくて、1年のうち2カ月くらいは毎日走る時期があるんです。あとは試合内容によっては、スタジアムから走って帰ることもありました。これは当時の国見では当たり前でしたね。ただ、僕らの世代はあんまりなかったです。強かったから(笑)」

――高校ではさまざまなことを教わったかと思いますが、一番覚えていることは何ですか?

「小嶺先生は、手取り足取りという感じで教えないんですよ。ただ、一番学んだのは人間性ですね。サッカーを通じて、人としてしっかりしていないと怒られました。本当にそこは徹底していました。ただ、僕はあんまり言われていないんですよ。

 それに、当時の国見には人間性がダメな選手なんていなかった。あんなにきつい場所に自らくるわけですから、みんなしっかりしていたんですよね。また、何かあるとひとりだけでなく連帯責任ですから、みんな周りに迷惑をかけられないので、より人としてしっかりしてくるんです」

――サッカー選手になるためにというところで、自主練もかなりやられていたんですか?

「毎日必ずやっていましたね。僕がやっていたのは、ドリブルからのミドルシュート。全体練習が終わってから、ずっとやっていました。あとは朝練習。ただ、僕はギリギリまで寝ていたいタイプだった(笑)。それでも練習に休まずに行ったのは、自分だけ行っていないと仲間に離されてしまうかもしれないという不安です。なので、ギリギリまで寝てはいたけど、練習だけは行っていた。誰もが練習熱心だったので、すごく刺激をもらっていました」

――小嶺先生がそういう切磋琢磨できる空気感を作っていたんですかね?

「作っていましたね。本当にバランスがよかったんです。ふだんは結構ギャグを言ったりして、優しいんですよ。でも、やらないといけない時はピリッとさせる。その使い分けはすごいですね。また、100人以上の部員がいるのに、先生は全員の性格を把握しているんですよ」