サッカー天皇杯決勝はやっぱり「元日・国立」がいい? お正月の風物詩となった長い歴史 (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo
  • photo by Getty Images

 1964年の東京五輪で準々決勝進出に成功した日本。1967年秋の予選では韓国などとの死闘を経てメキシコ五輪出場権を勝ち取ったばかりで、サッカー人気はさらに高まっていた。そのため、NHKは五輪イヤーの冒頭を飾るために「NHK杯元日サッカー」を主催したのだろう。

 そして、この「NHK杯」の成功を見た当時の日本蹴球協会は天皇杯決勝の元日開催を決断した。元日には国立からほど近い明治神宮に大勢の初詣客が集まる。「その一部でも天皇杯観戦に足を向けてくれたら......」と協会は期待したようだ。また、「毎年元日」と開催日を固定することでリピート客を増やすという効果もあった。

 一方、NHKにとっても天皇杯という「NHK杯」よりも歴史と権威のある大会を元日に放映できることには大きな意義があった。スポーツの実況はテレビ局側にとっては制作費も安くすむし、健康的で明るい印象を与える番組となる。そして、冬の東京は晴天が多いので、元日の青空の下での日本一決定戦は非常に魅力的なコンテンツだった。

 こうして、天皇杯の元日開催はスポーツ界の風物詩として定着。実際、元日の決勝戦にはJSLなど通常の試合に比べて、より多くの観客が集まることになった。

 僕が初めて天皇杯を観戦に行ったのは1967年1月の第47回大会だった。日本サッカー史上最高のFW、釜本邦茂を擁する早稲田大学が、JSL連覇を決めたばかりの東洋工業を破って優勝した大会だ(大学勢が優勝したのは、この大会が最後となった)。

 そして、1969年から、僕は毎年欠かさず元日に天皇杯決勝を観戦して続けてきた。冒頭に記したように、天皇杯決勝の元日開催は日程上さまざまな問題を抱えている。それで、僕は「元日開催にこだわるべきではない」と思っているのだが、今年のように実際に元日の決勝がなくなってみると、それはそれで寂しいような気がするのも確かなのである。

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