阿部勇樹の引退で思い出す「多色ビブス練習」。オシムチルドレンは今、どうしているのか?

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by Getty Images

【昨季はFC今治にいた42歳】

 中村憲剛と言えば、川崎フロンターレで活躍するイメージが色濃い。だが、日本代表としても実績を残しており、2010年ワールドカップ南アフリカ大会など2013年までに通算68試合出場6得点を記録している。現在は解説者という立場から鋭い視点でサッカーの魅力をファンに届けている。

 同じく昨季かぎりで引退した佐藤寿人はジェフユース出身だが、オシム監督がジェフを率いる以前に移籍しているのでかぶってはいない。それでもオシムジャパンに19試合で招集され、スタメンは1試合ながら12試合でスーパーサブとして重用された。オシム体制2戦目のアジアカップ予選のイエメン戦では双子の兄・勇人とともに途中出場でピッチに立ち、代表初ゴールも決めている。

 Jリーグでは歴代最多となる220ゴールを決めているが、日本代表では2006年から2012年までの通算31試合で4得点。ワールドカップにも縁がなかった。オシム政権がその後も続いていたら、また違ったプロ生活が待っていたのかもしれない。引退後は解説者を務める一方、選手の育成などで全国を飛び回っている。

 オシムジャパンが発足した2006年、7試合でメンバーに招集された長谷部誠(当時浦和)が2007年はケガなどの影響で未招集になった。そのチャンスに初めて日本代表入りし、2007年のすべての試合で招集されるまでになったのが橋本英郎(当時ガンバ大阪)だ。

 出場は途中出場4試合ながらも、ボランチ、左SB、右サイドMFをできる『ポリバレント』で日本代表に居場所を築いた。その後の岡田ジャパンでは2009年のW杯・アジアカップの最終予選を戦ったが、本大会メンバーには入れず。42歳となった今季は岡田氏がオーナーを務めるJ3のFC今治でプレーした(12月2日に契約満了により退団を発表)。

 オシム監督の率いた"ジェフの教え子"から日本代表にステップアップした選手には、阿部のほかに羽生直剛(招集17試合/2018年1月引退)、山岸智(同11試合/2021年1月引退)、鈴木啓太の従兄弟の水野晃樹(同4試合/現・はやぶさイレブン)、佐藤勇人(同1試合/2019年末引退)がいるが、もっとも知名度が高いのは巻誠一郎だろう。

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