川崎Fのレアンドロ・ダミアンが「信じられない出来事」と語るゴール。10代の頃はユースチームにも入れない存在だった (3ページ目)

  • 井川洋一●取材・文 text by Igawa Yoichi
  • 木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao

「自分でも本当に驚きました。信じられない出来事ですよね。南米のストライカーなら、誰もがコパ・リベルタドーレスの決勝でゴールを決めたいと思っているはずです。それが叶ったわけですから。しかも途中出場のデビュー戦で。ものすごく感動しました」

 インテルナシオナルはレアンドロ・ダミアンのほかに、元日本代表監督のファルカンや、ブラジル代表の主将としてアメリカW杯を制したのちにジュビロ磐田でもプレーしたドゥンガらを輩出している。彼らは日本との縁もある偉大な勝者たちだ。

「ファルカンさんもドゥンガさんも、もちろんよく知っています。またインテルナシオナルが本拠を置くポルトアレグレには、グレミオという名門クラブもあります。そしてどちらのクラブからも、技術に優れた選手がたくさん出てきている。ブラジル南部の選手たちが日本と縁があるのは、おそらくどちらも技術を重んじるからではないでしょうか」

 またエリートではなく、苦労を重ねて這い上がってきたという点では、フロンターレを代表するレジェンド、中村憲剛とも通じる。常に周囲への感謝を忘れないところも、ふたりに共通するものだ。

「いやいや、私は憲剛さんとは比較にならないくらい、小さな存在です。彼は本当に偉大な存在ですから」

 そう話すレアンドロ・ダミアンの来し方は、今はまだ陽の目を見ていない選手や、夢を追い続ける子どもたちを勇気づけているはずだ。そんな人々には、次のようなメッセージを送る。

「とにかく、夢と自分を信じること。それが大前提です。その夢に向かって走り続け、努力を続ける。チャンスは、いつどこでやってくるか、わからないですから。そして、その機会が訪れた時に、しっかりと掴む。そのためには、準備を怠らないことですね」
(後編につづく)

レアンドロ・ダミアン
Leandro Damião/1989年7月22日生まれ。ブラジル・パラナ州ジャルジン・アレグレ出身。川崎フロンターレ所属のFW。2007年からアトレチコ・イビラマでプレーし、2009年にインテルナシオナルに引き抜かれ、2010年にトップチームへ昇格し活躍。2012年にはロンドン五輪のブラジル代表でプレーし、大会得点王を獲得した。2014年はサントスに移籍し、その後クルゼイロ、ベティス(スペイン)、フラメンゴ、インテルナシオナルに戻ってプレー。2019年に来日。川崎フロンターレで3シーズン目となる今季はゴールを量産し、チームの2年連続4回目の優勝の大きな原動力となった。

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