松井大輔、なぜフットサル選手に? 「最後は観客がいる中で引退させてくれ」 (3ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by (C)2021 Y.S.C.C/Yutaro YAMAGUCHI

 一応、香辛料などで臭みは取るので、食べればたしかに魚の味なんですけど、あの泥水のような川と調理前の魚の匂いをかいでいますから、とてもじゃないけど食べられない。しまいには、ふ化する直前の羽根が生えている卵が出てきて、栄養が抜群だから食べろって。さすがにそれは無理ですって、断りました(笑)」

---- それはまたすごく貴重な経験をしましたね(笑)。そのあとに自宅隔離生活を?

「ええ。合宿所から脱出できて、やっと自宅に帰れるとホッとしていたら、そのまま自宅隔離が3カ月以上も続くことになってしまいました。食料は軍の方が届けてくれるんですが、外には一歩も出られないので、本当に地獄のような生活でしたね」

---- その間、どういったトレーニングをしていたんですか?

「とにかくマンションの外には出られないので、非常階段を走るとか、ルーフトップにダンベルを持っていって筋トレするとか、その程度しかできませんでした。もちろんボールを蹴ることもできなくて、いつロックダウンが解除されるのかもわからない。そんな状態が3カ月以上も続いたので、人間ではなくなってしまった気がしましたね。

 もう、ロックダウンだけは勘弁です。僕、これまで隔離生活を何度経験したかわからないくらいですから。隔離のスペシャリストですよ(笑)」

---- たしかに(笑)。そうなると、もはやベトナムに残るという選択肢はなくなりますね。

「ええ、とにかく早く日本に帰って身体を動かしたい、と思うようになりました。コンディション的には、ただの中年のオッサン状態でしたから(笑)。そういう状況に追い詰められて、今後のことをいろいろ考えたうえで、もらっていたオファーのなかで一番楽しそうだと思ったフットサルを選んで、やってみますっていう結論に至りました」

---- ビン会長とは、最後にどんな話をしましたか?

「新しい道に進んでがんばってくださいと。あと、サイゴンFCではうまくいかなかったことが多かったと思うけど、これからの成功を祈っていますって。それと、日本とは関係を続けたいと考えているので、ベトナム人選手を日本に送る時はよろしくって言われました」

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